化身、失楽園そして愛ルケ 

【日本の国運における40年周期説、というものがある。・・・
①1868〜1904(明治維新から日露戦争まで)     上り坂
②1905〜1945(日露戦争後から第二次大戦終戦まで)下り坂
③1946〜1985(戦後からプラザ合意まで)        上り坂
④1986〜2025(バブル経済から???)         下り坂
 この区分が正しいとすれば、2005年に生きる我々は、長い下り坂をようやく半分まで来たに過ぎず、あと20年は下り坂に耐えなければならないことになる。
そして1985年こそが、日本人が最後に「坂の上の雲」を仰ぎ見た年であった。・・・】

 という書き出しの本がありました。
吉崎竜彦著『1985年』(新潮新書、2005年8月刊)です。
この著者(1960年富山市生まれ、双日綜合研究所副所長)、
なかなかの才筆です。その才筆ぶりを紹介しましょう。
【2005年と1985年の共通点として、「日経新聞」で渡辺淳一の小説が連載されている。・・
 かつて、同紙に『失楽園』が連載された1996年には、ビジネスマンが一面の見出しを素通りして、そのまま最終面の『失楽園』に読みふけるという伝説が誕生した。
 そして1985年には・・渡辺淳一作『化身』・・・。
 『化身』、『失楽園』、『愛の流刑地』と、渡辺淳一は10年ごとに日経の最終面を盛り上げていた。
 この三つの小説の主人公が置かれた状況を比較してみると、見事にそれぞれの時代に対応していることが分かる。
 1985年の『化身』では、主人公はそこそこ有名な文藝評論家だった。なにしろ銀座で飲むのが大人の嗜みというくらいなので、今風に言えば、セレブと呼んで差し支えないだろう。後半ではカネに困って出版社に借金をしたりするが、逆に言えばそれだけの信用力もあった。
 1996年の『失楽園』では、主人公はリストラ寸前の出版社社員で、当面のカネはあるけれども、将来性はまるでない人物である。・・・
 2005年の『愛の流刑地』では、主人公は没落寸前の作家という何の保証もない
立場である。しかも、不倫相手はそのことを知らず、まだリッチな身の上だと思っている。
本稿執筆時点で、この先の話がどんな形で発展していくかはわからないものの、明るい結末が待っているようにはとても思われない。
少なくとも、主人公の経済状況が劇的に改善する可能性はゼロだろう。】
 と言うわけで、20年の間に主人公はどんどん経済的に落ちぶれていく。見事に下り坂である。
 もっとも、編集者から「そういう意図だったのですか」と問い合わせを受けた渡辺淳一さんは、
「へえ、そんなこと考えたこともなかったなあ」と答えたそうだ。
 この本、名著です。因みに筆者は、「溜池通信」なるホームページを運営中とか。
http://tameike.net/