岩波新書「技術の街道をゆく」

畑村洋太郎著、2018年1月刊)を読んだ。
はじめに
 「失敗学」の著者は、司馬遼太郎の「街道をゆく」を愛読しているという。こお50年、技術の現場を他z根、現地、現物、現人の「3現」を歩いた「技術の街道をゆく」で筆写なりの「街道をゆく」を
試みた書である。
第1章 鉄の道をゆく
東大生産技術研究所・千葉実験所
LD転炉の導入など、従来のシステムを根本から変革した。
第2章 たたらの里をゆく
技術の継承と失敗は密接な関係がある。島根県たたら製鉄に村下の仕事を学ぶ。
第3章 津波の跡をゆく
宮古市田老の定点観測。防潮堤は侵入してくる水野量を少なくして非難する時間を稼ぐあめの構造物でsる。津波を押しとどめる構造物でない。水門お開けるのに、電気の力を信用していない。
第4章 ミクロの世界をのぞく
ヤン場ダムの建設現場。ダムの本当の竣工は竣工後の10年である。
有田焼との比較が面白い。原料の陶石を一度砕いて粉の状態にしてから焼き固め整形している。有田焼で注目されるのは「1300℃」という焼成温度。原料の粒径と温度の間に密接な関係があるようだ。長く続く技術には「変えないために変える」がある。多々良焼もそうだ。
蹉跌、木炭、炉材の土‥変わる中でsの変化を取組「変えない」ための努力がある。
第5章 技術の系譜をたどる
イギリスの産業遺跡を見て回る。マンチェスターリバプール鉄道は世界初の鉄道事故で知られる。技術者は「動かす」ことに知恵を絞る。「止」は二の次になる。そこに落とし穴がある。
第6章 道なき道をゆく
ホンダの作る年産100万台のオートバイの内、日本国内で使われる尾は1%である。
日本製のオートバイと中国製のオートバイのシェア争いの話が面白い。ホンダは当初日本国内で釣ったオートバイを輸出したが(約15万円)思うように売れなかった。2000年頃から中国製が大量にはいってきたが、ほとんどがホンダのイイミテーシヨンだった。それが市場を席けんしホンダのシェアは激減した。
そこでホンダの打った手が独創的であった。
中国製のオートバイはすぐに壊れて修理が必要になる。中国製は部品の形状寸法までホンダ製に同じなので、追われた部品をホンダの純正部品に取り変え可能だった。壊れたらその部品をホンダの純正品に取り変えると、最終的には外装以外はホンダ品になる。ホンダは部品の販売に集中して市場を奪回した。さらにヴェトナム向けの0オートバイを7ん万円に10%オンして7万7千円で売り出し大当たりした。つまり、「イミテーシヨンの抱き込み」を行ったのである。かじゅして中国製を放逐し市場を奪還した。

付録:考えを創る(思考展開方)
新アイデアや構想を練る際、頭のンかにある概念を構図的に組み立て可視化することあ有効である。最後に筆者らの公安した「死故ぷ展開方」を紹介している。

「蜜蜂と遠来「(恩田陸著、2016年9月刊幻冬舎)を読みました。4月11日、東図書館に行くと、

予約した本が来てます」という。10か月ほど前に予約した本だった。余焼き宇したとき、予約者が何百人と言われて当分読めないと思っていたが、順番が回ってきた。相当人気のある小説です。
「ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、
そして音楽を描き切った青春群像小説。
著者渾身、文句なしの最高傑作!」
戸いうことで、音楽、クラシックを文学で表現した小説でした。
2016年下半期の直木賞受賞作である。

「ハイデガー『存在と時間』入門」

(轟孝雄著、2017年7月講談社現代新書)を大学図書館で欠いた。とても難しい本だった。序論だけ(60p)読んで、「これはわからない!」とあきらめてしまった。

まず、「存在の意味は時間である」の意味です。
たとえば「鳥が存在する」を考える場合、我々は具体的には、その鳥飛んでいる、木に停まっている、えさをついばんでいるとか、鳥がその都度、どのようなあり方をしているか、鳥の存在の在り方を含めて認識する。
このような認識によって。「鳥が存在する」ことを理解できるという意味である。
一般化していうと、存在するというのは、存在を単なる」「現在」だけでなく、「過去」と「未来」とに関係づけることで、了解する。より噛み砕いて言うと、「ある」ということは、何らかのコンテキスト性を持っており、「ある」の意味は、そのコンテクストをを把握することで理解可能である。
 著者は、防衛大学教授。いったい防衛大に哲学は必要かな?と著者に叱られそうな疑問を持った。

「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』(NHK出版新書、磯田道史よ、2017年5月)

司馬遼太郎が書き残した昭和日本の失敗の原因を詳述しています。(第4章 「鬼胎の時代」の謎に迫る)。大村益次郎を描いた『花神』を司馬作品の最高傑作と述べている。

「ミクロ経済学入門の入門」(坂井豊貴著、2017年4月岩波新書)

を読んだ。
ミクロ経済学を数式でなく、グラフで説明している本だ。
 ミクロ経済学は、一人一人の消費者や一つ一つの企業といったミクロな経済主体から、マクロな市場やそこでの政策効果を分析する学問である。
 現代の標準的な経済学では、どの応用分野もミクロ経済学の基礎の上に学問を積み上げている。
坂井豊貴の『ミクロ経済学入門の入門』が面白かったので、、同じ著者の『マーケットデザイン』‘ちかま新書2013年9月)を市立と舎監で借りてきた。
m−ケットデザインとは、「市場の設計」、つまり、どのようなルールで動く市場が望ましいかを論ずる経済学だ。
「市場の失敗」という言葉がある。これはかなり乱暴な言葉お使い方です。なぜなら、その云い方の背景には、本来なら市場はうまくいくはずだという根拠のない前提があるからです。という。

ZEN入門

「ビジネスZEN入門」(松山大耕著、講談社α新書)
大学図書館の棚でみつけました。筆者は妙心寺退蔵院副住職、1978年生まれ。2014年、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)出席。
 禅に影響を受けた外国人というと、真っ先に思い浮かべるのは、おそらくアップルの創業者・スチーブ・ジョブスでしょう。彼は10代の時インドで仏教に出会い、大学時代に禅に接し、当時カリフォルニヤで活動していた曹洞宗の乙川老師のもとに通って禅を学ぶ。結婚式モ音川師に執り行ってもらった。禅の影響はデザインの中にはっきりと息づいている世界的プロダクトデザイナーヂーター・ラムスも禅に魅せられた。
この二人のクリエイターのように外国人が禅に魅せられ強い影響を受ける例は少なくない。それは何故か・
第一には禅の考え方が普遍的であること。余計なものを無くし、その本質に向き合おうとする禅の在り方は文化を問わず多くの人の納得するところでしょう。
第2章 外国人ニ「禅」は分るか では、『禅』を外国人ニ紹介した鈴木大拙らと、日本ニ来テ『禅』ヲ学び、自国で「禅」をひろめた外国人ヲ紹介し、それを可能にする「禅」ノ普遍性について説明しています。インドのカレーと日本ノカレートいう例えが面白い。
 インドでは、カレイといえばスパイスの効いた辛いものが一般的、一方、日本のカレイは甘くてまろやかです。大学時代一つの実験をした。二つの部屋を用意しました。一つ目の部屋はすごく暑くて湿度も高い。日本の夏です。もう一つの部屋は凄く暑いけれど湿度のない部屋。つまり、インドのような環境です。そこに世界各国の留学生も含めた30人の学生にしばらくいてもらって、その中でインドと日本のカレイを食べもらう。すると、日本の部屋で食べた時30人20人以上が、日本のカレイの方がおいしいという。別の日にインドの部屋に入ってカレイを食べ比べる。インドのカレイの方がおいしいと言った学生が20人以上だった。食というのは、その土地の気候や風土に大きく左右される。宗教も同じだと筆者は言います。
 第3章「禅はグロ−バルに通じる」で、2011年始まった「退蔵院方丈襖絵プロジェクト」を紹介している。若くて無名の絵師に寺に住み込んでもらって襖絵を書いてもらうプロジェクトです。
 退蔵院の国の重要文化財に指定されている方丈は約400年前に建造された。一時、宮本武蔵が逗留したことでも知られる。方丈内部の襖には狩野了慶が描いた山水画があり、桃山後期の傑作と言われる。しかし、描かれてから既に400年、損傷が激しく本像を囲む中心部以外はすべて外さざるを得ない。新たな襖を入れようという話が持ち上がり、このプロジェクトが始まった。今の京都の繁栄は、何百年も前の人達が京都に無数の素晴らしい芸術作品や文化財を残してくれたからです。決して現代の京都に生きる私たちの功績ではない。私たちもご先祖様のように後世のために、いまこの時代の新たな芸術作品を作らねばならない。妙心寺の見どころの一つ、「雲竜図」を描いたのは狩野探幽です。約350年前、彼は妙心寺塔頭である海福院に住み込みこの大作を書き上げました。そのようにして何百年と生き残る作品が生まれ、絵師自身も書き手として成長した。
私はこのシステムを現代に復活させたいと考えた。絵師にはお寺が給料を払って住み込んでもらう。そして寺での生活や禅の修行も実際にしてもらいながら、退蔵院にふさわしい襖絵を描いてもらう。依頼するのは、力があるけれどまだ無名の描き手がいい
 最高の襖を仕上げることを目指しながら、描き手自身が考え、悩み、成長できる場を提供する。それが今お寺としてやるべきことと考えたのです。当時、24歳で大学院を出たばかりの村林由貴さんが選ばれました。2011年から彼女はお寺に住みながら退蔵院本堂の72面の襖絵に取り組んでいます。このプロジェクトは現在も進行中ですが、始まった時から多くのメデイヤ、特に海外のメデイヤが注目してくれました。