酒は旨いし姉ちゃんは綺麗

 「ガン特約保険とがん告知問題」という新聞広告を見ていた。なるほど、特約金を支払うと、本人に「がん」と分かってしまうから問題だ。この記事から、前便で紹介した『昭和史 証言者たち』の中で「がん告知」にふれたものがあったことを思い起こしました。筆者の保阪さんが大森亮雅氏(浅草寺病院院長兼浅草寺26世宗務総長)にインタヴューした文です。

【大森は、脳死・臓器移植にについては批判的な立場であった。・・・「なぜ貴方は反対という立場をとるのですか」という私の問いに次のように率直に答えたのだ。
 「反対論を唱えるのは、私が日本人だからです。脳死・臓器移植に限らずがんの告知やターミナルケヤ、尊厳死ホスピスというのは日本人に馴染まないとおもいますね。」 「そんなことはないと思いますが・・・各種の統計を見ても、がんの告知を希望する人は増えているんじゃないですか。」
 「そうでしょうか。実際に告知を受けた人がどれほど苦しむか、医師や看護婦を罵り、なかには暴れ回るという現実があるじゃないですか。告知の統計にしても私はおかしいと思いますよ」
 大森の言い分はこうだ。
 たとえば、「あなたががんだったとして告知されることに賛成ですか」という質問はいい。しかし、「そのことを家族に告知することに賛成ですか」というアンケートの質問や、がんの告知を受けて病死した患者の家族に「がんの告知をしたのは遺族としてよかったと思うか」という問いは、日本以外の国では考えられないというのだ。
自分ががんであることを家族に知らせないでくれという発想、家族ががんで死亡した肉親の心情を推し量るという強引さ、この日本的土壌は、欧米や他のアジヤの国々とは異なった歴史的風土から培われてきただけに、表面的なアンケートなど意味がないというのだ。<個人>はなく、ここのあるのは<他者との和>のみという発想だと断じる。

 いやもっと別な説明を大森の表現を借りてするならば、キリスト教イスラム教にしてもすべての宗教はこの世は穢土である、辛く苦しく、そして苛酷だと教える。だからこそ、来世(あの世)は天国であり、清浄なる世界であるという。日本はどうか。現世こそ楽土であるとし、だからこそ死は<あの世>への通過点ではなく、終了地点と考えるのだ。死者を7回忌、13回忌、50回忌まで供養し続ける。死者が現世へ未練を持っているだろうと思い込み、それを鎮魂するためにと肉親が考え、僧侶を呼んで経を唱えてもらう。
 ここには、現世は仏や神と個人が契約しているのではなく、他人と和を尊ぶことのみが優先される思想がある。仏教は本来個人主義の宗教なのに日本に入ってきたときに変質してこのようになってしまったというのである。
 脳死・臓器移植がどれほど先端的であるにせよ、そして例えば法律上で認められても「日本人はけっしてドナーにならないだろう」なぜなら肉体は終結の証そのものだ
というのが、日本人の仏教観なのだから・・」・・・(大森亡きあと、脳死臓器移植法
が成立したにもかかわらずドナー登録者は極端に少ない)】

 長々引用して恐縮です。告知に限らず、「死」の問題は民族の宗教観に立って考えねばならない。そもそも「人間にとって宗教とは何か」、現在、関心を持って考究中の問題です。
(ある程度まとまったら、報告したいのですが・・・)
ついでながら、この世は穢土であの世が楽土と考える人たちから自爆テロが出るのですね。
 そう言えば、「天国よいとこ・・・酒は美味いし姉ちゃんは綺麗・・」という唄が流行ったことありましたが、これは外国人の発想で、日本人にとっては、酒が美味くて姉ちゃんが綺麗なのは、この世。死神来訪の「告知」なんて願い下げなんですね。

追伸:本メールの件名は、羊頭狗肉でしたか?