デフレの犯人は誰だった?

 面白い本がありました。
 『円デフレ』三国陽夫・R.T・マーフィー共著、東洋経済新報社、2002年12月刊。
 もともとは英語で書かれ、米国のブルッキング研究所から出版された本の日本語版す(その所為か、若干読み辛い点があるのが難点だ)。
 90年代以降のデフレ現象を日清戦争以来の日本経済歴史の文脈の中で説いている。
【日本の為替政策の背景には、市場原理に委ねて形成される為替レートよりも、円安に誘導し製造業を成功させるべく保育する長期的且つ確固たる、しかしながら暗黙の政策が存在する。】
【日本の政策決定者たちは、ゆうに一世紀以上前から今日までにわたって、三つの目的をもって国家運営にあたってきた。独立、存続と支配―外国統治からの独立、政策決定者たちが支配階層者として生き続けること、そしてカギとなる経済的・政治的な装置をいつまでも支配すること。】
【政策決定者たちの目的は日本の一般国民の繁栄を求めることにはなく、彼らからみて敵対的な世界からの防備を買うことだった】
 経常黒字を永続させるに作られたしくみ、外為会計という仕組みこそ、デフレの犯人と指弾します。
 著者の主張は、噛み砕いて言うと、
 「企業は稼いだドルを外為に持ち込み日本円を受け取る。その際、外為が支払う円は税金もしくは国債である。そして外為はそのドルを米国に貯金(財務省証券)して、その貯金は絶対に下さない。(もっと分かりやすくいうと、売上金の一部(外為に持ち込んだ分)を米国から回収していない。外為が、米国の代わりに、国民のお金(税金と国債)を使って立て替えているのだ。)外為が貯金した分は、本来は、日本国内でお金となって流通すべきなのに、そうならない。
その分、国内の流動性(お金)が減るのである」。
  これは、潜在的なデフレ圧力になる。90年代までそれが表面化しなかったのは、それまで、土地を担保にして、銀行が(ということは大蔵省が)流動性を増やしたから(その分土地価格の上昇に拍車をかけた)。日本の銀行は、形の上では民間企業だが、実態は大蔵省(現在は金融庁になるが)の指示どおりに業務運営をしているだけ。
実態は国営銀行だった。
 何故、大蔵省はそうしたか?彼らは為替が市場で決まるということが納得できなかった。円の上昇を避けるためには、稼いだ黒字を市場に放出せず、言わば”不胎化”する必要があったからです。
 著者はこうも言う。『民主国家では、国民の統治者を、国民が選挙する。日本では、なるほど政治家は選挙で選ぶ。しかし、国民を統治しているのは、政治家でなく、エリート官僚である。日本は民主主義の国だろうか?』
【もし日本が1973年に戻って変動為替の論理を受け入れていたなら、非効率で国際的な競争力のない産業は段階的に除去され、資本は日本の比較優位が最も著しい経済分野に移動していた。経済が国内需要主導型の均衡のとれた成長を遂げていれば、日本は自らの文化と天賦の才に適した自前の最先端技術の開発に駆り立てられていたろう。現実には日本は円相場を抑圧し・・影響を緩和する政策を開始した。これは経常黒字を続け、黒字をドル建てとして、ドルを再輸出することを意味した。日本からのドル資金は、アメリカに痛みを伴わない貿易赤字”の数十年間をもたらすとともに、シリコン・バレイや他のアメリカのハイテクの化身たちの出現への資金供給となる流動性の増大をもたらすことになった。】・・・と言うのだが こう主張するこの本を著した著者は、
 三国は、1939年生まれ、東大法学部卒。野村證券を経て、75年7月、K.K
三国事務所設立、代表。
 マーフィーは1952年生まれ。ハーバード大卒。チェースマンハッタン、ゴール
ドマン・サックスを経て、経済評論家。2000年筑波大学外国人教師。著書に『日
本経済の本当の話』(毎日新聞社