韓国語と茨城のり子さん

 今週の月曜日、教育TVで『脳を鍛える』を見ていたら、こんな面白い話がありました。
 「脳と言語」について、川島先生がこう述べていました。「韓国の人たちの中で、英語が第一外国語で、日本語が第二外国語として習ってきた人たちに協力していただいて研究をしたところ、英語を使う時には日本人が英語を扱っているときと同じで左の前頭前野(ブローカー野)がよく働く結果がでたのですが、学んだ量が少ない第二外国語の日本語を扱ったときときには、脳の働き方が韓国語と比べてもあまりかわらない(側頭葉からウェルニッケル野の間)という結果がでました。」
 韓国語と日本語の文法がよく似ていることに注目して、川島先生は研究を続けられているそうです。
 
 ところで、先月、詩人の茨城のり子さんの訃報が新聞に出ました。ご記憶でしょうか。
 私は韓国語をかじり始めた頃、彼女の「ハングルへの旅」(朝日文庫)を読んで、茨城さんの名を覚えました。
 1926年生まれの茨城さんは50代から、ハングルの勉強を始められたそうです。
 彼女の詩を一つ。『わたしが一番きれいだったとき』という詩です
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが流れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を書いた
フランスのルオー爺さんのように