アスベスト問題

 雑誌を見ていたら、スケートの清水宏保選手の話が出ていた。肺活量が2700
ccしかなく、子どもの時ぜんそくで苦労したと言うことだ(この肺活量で世界記録を出すアスリートになったのだから凄い努力家だろう)。
 私も、子どもの時から肺活量は小さかった。今でも3000ccぐらいで、昔喘息には泣かされた。肺活量が小さいと喘息になり易いのかな?
 そう思った時、若しかしたら私の喘息は、アスベストの所為では?と思った。27歳の時発病したのだが、それはアスベストを扱っている現場に働き始めた時期と符合する。
 昨年末、「アスベスト検診」を受けてください」という連絡がD社(元勤務先)からあって、健康診断を受けたが、今年になって「異常は認められません」という連絡があった。
昭和40年前後,アスベストが危険だという認識は全く無かった。多くの場合,20年〜30年後に、中皮腫という肺がんを引き起こすというから、これから大変な公害問題になる危険性がある。
アスベスト被害は「日本資本主義史上最大の産業災害」(宮本憲一氏))
 たまたま、図書館で新刊の棚を見ていたら、「アスベスト禍」(粟野仁雄著、集英社新書)という本を見つけたので、借りてきた。
 読んでみて、驚いたことが二つ。既に80年代、保険業界がアスベスト渦を保険の免責条項としていたこと、及び日本政府のILO条約批准の姿勢、内幕です。


【保険会社は、アスベスト被害を免責事由とすることを、企業向けの損害賠償保険の契約の約款にこっそり盛り込んでいたのだ。免責条項を設けた時期は、80年代半ばから90年代にかけてである。現在もそのままである。・・・
 約款は保険会社が勝手に変えるわけにはゆかず、国(現在は金融監督庁)の認可がいる。しかし、損保業界からの強い要望で実現した。アスベストについての深刻な被害を早くから察知し、業界利益だけを守ろうとしたのだ。
 免責条項の存在は、契約した企業にもその従業員にも、ほとんど知らされていない。
まさに、保険会社が自分たちだけのリスク対策を講じたものであり、そこには「救済」の発想などゼロである。・・・
 評論家の内橋克人氏は05年7月にNHKラジオの番組でアスベスト問題を解説した際「保険会社が、契約時の約款で、いち早くアスベスト被害を免責にしていたことは、驚くべきことです。それだけ、日本の民間会社の間では、アスベストの恐ろしさを熟知していた証拠です。この認識が、社会にいきわたらなかったことがおかしい」
と話していた。】(続く)