再び構造主義

『寝ながら学べる構造主義』(内田樹著、文春新書、平成14年6月刊)を読みまし
た。
第1章 構造主義というのは、ひとことでいってしまえば、次のような考え方のこと
です。
私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私た
ちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たち
は自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。
むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け入れたものだけを選
択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する
社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることが
なく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることも
ない。
第2章 「私の持論」という袋には何でも入るのですが、そこにいちばんたくさん
入っているのは実は「他人の持論」です。
私が確信をもって他人に意見を陳述している場合、それは「私自身が誰かから聞か
されたこと」を繰り返していると思っていただいて、まず間違いありません。
以上のように「構造主義」を述べてきますと、こうした考え方が、個が存在すると
伝統的に考えてきた西洋の思想にとって、大きな衝撃であったことが分かります。
第3章 フーコーが登場します。
人間社会に存在するすべての社会制度がは、過去のある時点に、いくつかの歴史的
ファクターの複合的な効果として「誕生」したもので、それ以前には存在しなかった
・・・その制度や意味が「生成した」現場まで遡って見ること、それがフーコー
「社会史」の仕事です。即ち、「社会制度」の誕生はいくつかの偶然が作用したと
し、歴史の流れを一直線に『進化」してきたと捉える歴史観に、彼は異を唱えるので
す。
構造主義は社会の影響なしに個人の思想が生れない、とすることから社会の歴史を
考究した。)
第4章 バルトの登場です。バルトは記号学を提唱します。
記号というものは、ある社会集団が制度的に取り決めた「しるしと意味の組合せ」
です。
バルトは「作品」(たとえば「文学作品」)という言葉を避けて、「テクスト」と
いう言葉を選びました。「テクスト」とは「織り上げられたもの」のことです。
リナックスについてこう述べます。
【このOSを発明したリナスさんは、これで天文学的な利益を手に入れることができ
たのに、それをせずにインターネットに載せて、無料で公開してしまった。すぐれた
OSが無数の人々の協力によって進歩することのほうが自分一人が大富豪になること
よりずっと大事なことだと考えた。彼の名を冠したOSが世界標準となり、全世界の
ハッカーたちが彼の名を敬意を込めて発音する快楽のほうを選んだ。
リナックスを彼の作品とするよりも、全世界の織物にした。本来、思想と言うもの
は作品というよりも織物なのだ。
第5章 クロード・レヴィ=ストロースの登場です。
レヴィ=ストロースは親族構造を音韻論のモデルで解析するという大胆な方法を着
想しました。
ややこしくなるので、詳細をカットして、【人間は生れたときから「人間である」の
ではなく、ある社会的規範を受け容れることで「人間になる」】という彼の主張に賛
意を表します。
第6章 ジャック・ラカンです。ラカン鏡像段階を研究しました。
鏡像段階とは人間の幼児が、生後6ヶ月くらいになると、鏡に映った自分の像に
興味を抱くようになり、やがて強烈な喜悦を経験するようになる現象を指します。人
間以外の動物は、最初は鏡を不思議がって、覗き込んだり、ぐるぐる周囲を回ったり
しますが、そのうちに鏡像には実体がないことが分かると、鏡に対する関心はふいに
終ってしまう。】
人間が如何にして「私」という概念に到達するか、という意味で面白い章でした。