兼好法師の結婚観
司馬遼太郎さんの小説は、ほとんど読んでいますが、1冊だけ読んでいないのがあった。『箱根の坂』です。で、この盆休みに読んでみようと、図書館で借りてきました。
北条早雲(1432〜1519)を主人公とする小説で、室町から戦国時代への、世の中の動きを活写していますが、当時の結婚の形態に触れた部分がありました。
【本来、この国では、妻を一堂のなかに住まわせて同居するという風習がなく、あらあらは男が通うというものであった。ところが平安の末、坂東で武家が勃興してこのかた、妻と同居するという東の風が上方に入り、古い風習がくずれてきた。
早雲よりも一世紀ふるい京都人である兼好法師は『徒然草』のなかで、旧風をよしとし、新風をいかがわしいものとして感想を述べている。
この文章での妻(め)ということばは、同居という新しい形式のなかでの妻をさす。
妻(め)というものこそ、をのこの持つまじきものなれ。
妻などは男たるもの、持つべきではない、という。
「いつも独住みにて」
など聞くこそ心にくけれ。
「誰がしが婿に成ぬ」
とも、また、
「如何なる女を取りすえて、相住む」
など聞きつれば、無下にも心劣りせらるるわざなり。
私は一人住まいです、ときくと、まことに心にくく思われるのである。それにひきかえ、誰がしの婿になりました、とか、ある女を家に迎えてともに住んでおります、などと聞くときは、なんと心の低いことよ、と感ぜられる。以下、直訳する。
「そういう男は、さほどでもない女を佳しと思いこんで一緒になっているのだろうが、まことに心卑しいことだ」
と、兼好法師はまことにはげしい。
「そういう深思いは、女の側からみても、心が落ち着かぬことだろう。だから、別居してときどき通うこそ年月を経ても飽きの来ぬありかたというべきである」】
小生がまだ現役だった昭和50年代、高度経済成長の「坂の上の雲」を目指して、会社の中で男たちが懸命に働いていた頃の話です。IE協会に集まった男たちの会話。
「こう仕事が忙しいと、会社に住んでいて、時たま自宅を訪れているみたいだ」
「日本の男は、平安時代からそうなんだよ!」
「・・・・・」