だましだまし人生を生きよう

「だましだまし人生を生きよう」(池田清彦著、平成21年1月1日刊)を読みました。

書名の面白さと筆者に惹かれて書店で衝動買いしたのです。池田清彦という筆者の名を、時折、雑誌や新聞の文章で見ていて、特異な思想家として注目していたのです。略歴を見ると、1947年生まれ、若い世代の(といっても還暦を過ぎているが)人だ。

 読み始めたら、昆虫採集の話のオンパレード。少年の頃から、昆虫採集のオタクで、長じて生物学者となる自伝。昆虫好きの少年から解剖学者になった養老孟司さんと好一対です。実際、養老さんとは気が合う学者らしい。

 面白いと思ったのは生物学の「構造主義」。以下に、要点だけ。

 池田さんは、「構造主義生物学」の旗手として知られているらしい。生物学における構造主義とは、そも、いかなるものか?この本を読んで、私は次のように理解しました。

【近年の生物学の主流の考え方に「ネオダーヴィニズム」という考えがあります。簡単に言うと、遺伝子の突然変異は偶然で、それが集団中で優勢になるのは、自然選択の結果。すべての進化現象は、突然変異と自然選択で説明可能と考えた。

 そこで、構造主義者が問題にするのは、突然変異が偶然か?という点です。彼らは、ゲノムは全体として構造化されているシステムで、突然変異もまたこのシステムの支配下にある限り、その変化は偶然ではないのでは?】と、考えるのです。

 構造化ということについて、更に考えると。

 【構造主義生物学は、生物というシステムの中でもっとも重要なのはDNAという情報ではなく、情報を解読する解釈系だと考える。

 カエルの卵の核移植実験をする。Aという品種の卵の核を取って、代わりにBという品種の核を入れる。このカエルの卵は成長するとAになるかBになるか。これはBになる。卵の細胞質はAであり、核はBである。したがってAになるかBになるかを決めているのは核である。核には染色体が入っており、染色体はDNAからできている。

だから、形質を決定するのはDNAである。・・

しかし、イモリの卵から核を抜いて、その中にカエルの卵の核を入れても、カエルは発生しない。その卵はただ死ぬだけである。

DNAを変えてやれば、確かに形は変わる。しかし、種の枠をはみ出るような変化は起きない。ということは、DNAが変化しても、いわゆる大進化(種の枠組みを越える以上の大きな進化)は起きない。

カエルの細胞は、DNAという情報を解釈する解釈系であって、・・・解釈系が同じであれば、形質を決定するのはDNAの違いだけになる。

解釈系とは情報を理解する能力といったもの。情報がいくら流れても、それを理解する能力がなければ無意味である。たとえば、日本語がまったくできなければ、日本語の音声は単なる雑音にすぎない。DNAが変わっても大きな進化が起きないとなると、大進化が起こるためには解釈系が変わるほかはない、というのが構造生物学の考えなのである。】

『本当の研究は、自分のやっている研究が、学問体系の中でどんな意味があるかを知らなければできない』(研究は、学問体系という構造の中での研究です。)という著者の言葉、大学院での勉強の指針になると思いました。