消えた宿泊名簿

 16日の尾張名古屋は日中の最高気温が0.5℃という寒さ!27年ぶりと気象台は伝えています。27年前に最高気温0.5℃があったかどうか私の記憶にありません。私の記憶の範囲では一番寒い日でした。雪も積雪10センチと伝えられましたが、私の観測(感触)では20センチぐらいありそうでした。今朝も雪が舞っています。

それに、小生、金曜日から風邪を引いたらしく、咽喉が痛く、鼻がつまる。鬼の霍乱かな?どこへも出かけられないので、一日本を読んで過ごしました。

山口由美の本、先日紹介しましたが、もう一冊読んでみようと、09年6月刊行の『消えた宿泊名簿(ホテルが語る戦争の記憶)』という本を図書館から借りてきていました。

いささかミステリーじみた題名ですが、昭和16年の夏、日米開戦を避けるための工作が箱根富士屋ホテルを舞台に行なわれた。米国側はルーズベルト大統領の同意を得た米国人宣教師2名、日本側は近衛首相とその側近、西園寺(公一)、松本、牛場らが箱根に集まった。この間の事情を調べるため、富士屋ホテルの創業者の曾孫である筆者がレジスターブック(宿泊者署名簿)を調べたが1941年と1942年のものが何者かが紛失させていた。開戦してしまった後では、そういう記録がみつかっては具合が悪かった?というのが第1章です。

第2〜第5章は、強羅ホテル、奈良ホテル、帝国ホテルなどの戦争と戦後の連合軍との関りを記述しています。第6章になると、作家曽野綾子のデヴュー作「遠来の客たち」(昭和29年、芥川賞候補作になった)についてです。

曽野綾子と筆者の母親がいとこ同士とのことで、この作品の生まれた事情について、筆者は詳しい。曽野さんが富士屋ホテルでアルバイトとして働いた体験を元にして書いた作品で、ホテルが米軍に接収された当時の出来事を語り、「遠来の客」とは、ホテルに住まう進駐軍を意味します。

芥川賞の選考委員会で、丹羽文雄が激賞したそうです。

曽野綾子は掘り出し物ではないか。進駐軍につとめている女事務員が主人公だが、アメリカ人に対して対等の位置にたっている。適当に反撃し、適当に皮肉り、適当に批判している。新鮮な作風であり、感覚もユニークである。これは素質的なものではないか」

この本の著者の文章力も素質的なものであろうか、簡にして要を得た文章です。

もう一つ、山王ホテルについて。2.26事件で反乱軍の本拠となった山王ホテルは、昭和58年まで米軍の接収が続いたそうだ。東京都心にぽっかり存在した米軍基地であったのだ。(現在ホテルの跡地には山王パワータワーが立ったが、ホテルの機能は昭和58年以降も南麻布の「ニューサンノーホテル」に引き継がれた。このホテル、地下鉄広尾駅から天現寺の交差点に向かって歩く。カフェやブチックの並ぶ先、高いコンクリートの塀に囲まれたホテルで、入っていこうとすると、写真付きIDの提示を求められた。空港でもないかぎり、日本国内でそんなものを必要とすることはない。エントランス前に米兵が銃を手にして立っていた。)・・・・考えさせられる日本の現実です。