40歳からの知的生産術

『40歳からの知的生産術』(谷岡一郎著、11年1月刊ちくま新書)を読みました。
何故この本を読んだのかというと、図書館の書棚で見つけて、パラパラと序文のページを見ると、時間をどう管理するかを書いている。「知的生産」について書かれた本は多いが、それらは所謂「発想法」の観点から、つまり、どのようにして新しい発想を得るかについて書いたものが殆どである。「時間を管理・節約する」という視点で「知的生産」を論じたものは少ない。面白そうだと借りてきました。
 話題の多い本でした。例えばケイタイ。筆者はケイタイを持たないという。「先生のような忙しい人が携帯電話を持たないと、回りが迷惑するのでは?」と言われる。「ケイタイがあるともっと忙しくなる」と答えるそうだ。のべつまくなしに連絡が入ってくる状況は避けたいのだそうです(そのかわり2〜3時間おきにオフィスに電話を入れる)。
小生もケイタイは持たない。この本の筆者のような立派な理由はないのだが、現役だった頃はまだケイタイを持つ人は多くなかった。その延長でケイタイを持たず、もたなくてもあまり不便を感じなかったからだ。でも最近もってもいいなと思う出来事があった。例の京大のカンニング事件で、Tvニュースが最近のケイタイの機能を報道したが、画像を文字に変換して送信する機能を有する機種があるとのこと。図書館などでこれはいいと思う文章を見出すことがある。その場合、今はその部分を10円コピーして持ち帰ってPCに打ち込むことにしている。ケイタイで撮影し、画像を文字に変換してメール送信すれば手間が省けると思ったのです。
次に「仕事を同時並行でやる」ことについて、
 【将棋の羽生・谷川のタイトル戦の二日間を見学させてもらった第1日の対戦が終り、・・・娯楽室で筆者は友人とヘボ碁を打っていたのだが、羽生9段はその横にやってきて見学し始めたのである。筆者が一手打つと、それまでじーっと盤面を見ていた羽生9段、やおら腕を組むと頭をぐぐーっと傾け。筆者の手に納得いかないようで、熱心に読みふける。
 2日制の対局の一日目の夜。対局者は普通頭を休めリラックスして2日目の準備をするものだ。してみると、羽生9段のこの行動は何と解釈すればよいのだろうか。
 かなり後で本人に確かめてみたところ、羽生9段にとって「別のゲーム」は、将棋で疲れた脳を休めるのに役立つらしい。】
 筆者は、複数の仕事を同時並行でやることを勧める。この点は私も賛成です。
例えば(論文を書くような場合)、A,B,Cの3つのテーマをかかえ、まずAに集中してやっていると、ある時点でどう進めたらいいか分からなくなる。その時には、AはそのままにしてBにとりかかる。そのうちBも進め方が分からなくなる。今度はCを始める。すると、CをやっているうちにAはこうやればいいんだと思いつくのです。その時Aに戻る。BやCをやっている時、Aを考えていた脳は休んでいる。新しい発展を思いつくには脳を休めることが必要です。あたかも羽生名人が碁を考えるとき将棋脳は休んでいるように。
 さて、書名「40歳からの・・」の意味である。私の解釈では「人生の残り時間を意識する世代の・・」ということらしい。
 残り時間を有効に使うためには、「余分な情報をカットする必要がある」。そこで、筆者の勧める整理法は時系列に資料をファイルする。これは野口悠紀雄氏の「整理法」に詳しい。実際、筆者も、野口氏の著書からヒントを得たと述べている。
 利用した資料を時系列でファイルして、その資料に再アクセスした場合、再アクセスした月日で再ファイルしておけば、古い月日でファイルしてある資料は近年利用しなかった資料であり、処分して良い資料だと分かるというのです(例えその資料がどんなに立派な資料でも自分にとって利用しない資料はムダな資料だ)。



 筆者の主張の中で、納得しかねることもあった。
【下世話な言い方をするなら、「偉くなりたかったら、本を読みなさい」。・・・「本の好きな人だけが、偉くなれる」。・・】そうあってほしいと私は思うのだが、現実はエライ総理大臣の中にも「愛読書は漫画」と豪語する人もいた(漫画本がレベルが低いというのではない。本の内容を理解するということは、本にある言葉をイメージに置き換えて脳に記憶させることだ私は思うのだが、漫画は言葉よりもイメージで表現しているから、言葉をイメージに変換する能力の涵養には役立たないと考えるのです)。

 それはさておき、筆者はこの本の中でエリートの養成にこだわっている。それは、筆者がエリ−トの家系でエリートとして育てられたためらしい。筆者は祖父の設立した大阪商業大学の学長で、筆者の姉君は、愛知選出の参院議員の谷岡郁子氏(中京女子大学長)です。
【筆者の祖母(学園創設者の妻)は強烈な個性の人で、筆者の人生に大きな影響を与えてくれた人でもあった。
 多くの卒業生は、この花江ばあちゃんのことを食堂のオバチャンだと信じていたし、今でもそう思っているかもしれない。うどんなどを10円値上げする案が出た時、当時の理事長の妻として反対を貫き通し、その代わりとして自ら、毎朝野菜市場から重いハクサイなどを運び込み、食堂でうどんを作っていたからだ。
 筆者の姉が海外留学から帰国してしばらく後、祖母に呼ばれて家を訪ねた時のこと。どこかで拾ってきた教科書(中1〜中3の公立中学のもの)を見せてこう言ったそうだ。「ワテに英語教えてくれんかのう、その時祖母は89歳だった。
 祖父が死んで、我々親戚が仏壇にお供えした時も、「ああ、そんなもん、骨と写真だす。ワテ帰りまっさ」と、さっさと帰ってしまうほど、ドライ・・
 ある時、呼ばれて祖母宅を訪れると、理事として学園の財布のヒモを握っていた祖母がこう言った。「太郎(筆者の父、2代目)が、19億円で新しいプロジェクトを考えてるのだが、・・・一郎(筆者)は、このプロジェクトに賛成するか?するなら金を出させよう」と。ついでに迷っている筆者にこうも言った、「今、おまえが失敗するなら、ワイがカバーしてやれるでな。失敗してもいいから自分で決断してみよ」と。祖母は普段から「失敗なんぞ、山ほどすりゃいい。そうすりゃ、少しはまともな顔になるでな」と言っていた】

 最後に楽しい人生とは、
【(文化人類学の泰斗)故梅棹忠夫さんにたずねたことがある「先生は様々な人生を送っておられますが、かりに人生の好きな時期に戻れるとしたら、いつの時代に戻りたいですか」。
先生が発せられた答えは「いや・・・今がいいです。どの時代のどの経験も私にとって捨てがたいものだからです。私は今より幸せな時はありません」
 正直感動した。先生はその時すでに高齢であり、目も不自由な生活を送っている。しかしそのようなマイナス面をものともしないプラスが毎日の生活で得られていたのだ。】