日本の失われた10年

『日本の失われた10年』(原田泰著、日経新聞99年12月刊)という本を読みました。
今日では「失われた20年」というべきでしょうが、99年に出た本ですから「失われた10年」になっています。でも読了してみて、著者の主張は概ね今日でも妥当である。つまり、著者の指摘する問題点が改善されないため、失われた10年が失われた20年になっていると、思いました。
 前半で、日本の経済成長を、後半で日本の必要とする構造改革を論じています。
まず前半。
 1980年代末からの日本経済を誤らせた大きな要因は、金融政策の失敗。金融政策には、二つの政策がある。一つは、経済全般にどれだけの信用を供与すべきかを決定する政策。これを貨幣政策(マネタリーポリシー)と呼ぼう。もう一つは、決済システムの安定性を維持するための政策。これを信用秩序維持政策(プルーデンス・ポリシー)と呼ぶ。
 第一の貨幣政策について、著者の結論はこうです。
  『日本の中央銀行の金融政策思想は根本的に誤っている。過ちの第一は、「マネーは民間部門の資金需要に受動的に供給するものである」という思想である。第二の誤りは、「マネーサプライは結果であって政策変数ではないのだから、貨幣政策によってコントロールすることはできない」という思想である。過ちの第三は、「先送りすれば問題は解決される」という哲学である。金融政策思想の誤りと、先送り政策が、世界史的にもあまり例がない巨額の不良債権問題をつくりだしたのである。』
中央銀行はマネー(量)をコントロールできる。日本経済の低迷は、マネーサプライのコントロールの失敗に因る。金利をこれ以上下げられないところまで下げているから、金融は十分緩和しているというが、名目金利が下がっても実質金利が下がっているとはいえない。名目金利を安定させても景気安定効果がもてない。実物投資は、名目金利でなく、物価上昇率を考慮した実質利子率によって行われるからだ。
 真の金融緩和は、名目金利でなく、マネーの量だと著者は強調します。

 次に、信用秩序維持政策について。著者の推計によると、98年までの5年間で、(低預金金利によって)預金者から銀行に移転した所得は12兆円という。
 銀行業は特別な存在であって、国民のポケットからお金を取り上げて金融業のポケットに入れてやると、景気がどんどん良くなるようなそんな特別な産業なのだろうか。
 銀行は特別であるとして、銀行システムに政府が介入する根拠は
① 預金者保護
② 銀行取付の危険
③ 取り付けに関連しての銀行連鎖倒産の防止
④ 優良な借り手の保護
⑤ 銀行倒産に伴う信用収縮
①は預金者を救うことと銀行を救うことは別である。
②〜④については根拠がないこと、⑤については北海道拓殖銀行のケースを取り上げて、その事実はないことを実証している。
銀行は特別な産業ではないのだから、銀行だけに公的資金をつぎ込んで救済しなければならないという理由はない、と主張します。
後半です。
「改革なければ成長なし」とかつて小泉内閣時代喧伝されました。
その「構造改革」と「規制緩和」とは具体的に何を意味したのか?定義が明らかにされずに政策論議が行われてきたのですが、小泉内閣登場以前の本書で、「構造改革」と「規制緩和」を明確に述べていました。
 著者は「構造改革」とは、「内外価格差」を生じさせる構造と規制を改めることだと定義しているのです。そして、既に70年代初頭から構造改革の必要性が生じていた。その証拠に、バーレル4.3ドルから12.5ドルまで3倍に上がった石油ショックの以前と以後で、日本ほど大きな実質成長率の低下した国は存在しないと言います。
 そして、日本の産業のあり方について、著者は興味深い指摘をしている。

 輸出、輸入について、日本と各国との産業別の構成比の相関係数を調べる。これが1に近ければ競争関係にあり、0に近ければ競争関係にないことになる。そこで、横軸に1人当たりGDP、縦軸にこの相関係数をとって、各国のデータをプロットする。
 すると、グラフから分かることは、中国は日本と競合せず、韓国は所得の割りに日本と競合度が高く、香港は所得が高い割りに競合度は低い。韓国が日本と競合度が高いのは、日本と同じような産業構造を維持しようとする政策の結果?それは韓国民の実質所得を低下させた可能性がある。香港は日本と競合度は低いが、韓国よりもずっと豊かである。
 これは人と違うことをするのが成功の秘訣だということを示している。
 世界経済のグローバル化時代、交易によって、国民が豊かになったかどうかを知るには、交易条件(輸出価格と輸入価格の比)と輸入依存度を知る必要がある。
 日本とアメリカの交易条件と輸入依存度(原燃料は除く)の推移を見ると、交易条件は、70年代から、日本が変動しながら上昇しているのに、アメリカは停滞している。日本の交易条件は、冷戦が終結し、すべての国が世界市場での競争に参画しはじめた90年代においてこそ、上昇している。メガ・コンペチシヨンは、日本にとって有利な交易条件をつくりだした。
 一方、輸入依存度は、アメリカが70年代の初めの4%から10%に上昇しているのに対して、日本は6%から5%へ低下している。特に90年代は日本が低下したのにアメリカはさらに上昇した。
 (一国の)生産性を高めるには二つの方法がある。一つは生産性の低い産業の生産性を高める方法だが、もう一つは生産性の低い産業をやめて輸入に置き換える方法である。日本は前者に失敗し、アメリカは後者の方法によって成功した。
 筆者の言いたいことは、交易条件が上昇したのだから、多く輸入する方が有利なのに、輸入増加策をとることはなかった。それは、輸入を増やすと輸入商品を生産する産業の雇用が脅かされるからである。
 公共投資も雇用の維持のため効率が無視された傾向がある。
これまで日本が莫大な公共投資をしてきたにもかかわらず、それが経済の負担にならなかったのは軍事負担が少なかったからだという田中直樹氏の説がある。たしかに、軍事費と公共投資を足すと、1990年以前には、アメリカ、イギリスなどでは10%を越えるときもあり、日本の公共事業の負担は相対的に目立たない。しかし、冷戦の終結によって、世界的に軍事費の負担が低下し、日本の負担が目立つようになっている。
人口高齢化により貯蓄率が低下するから、日本は、投資効率を高めるべきだ。
 限界資本算出比率というデータがある。一単位のGDPを増大させるために何単位の資本の増加が必要かという指標で、投資をGDPの増分で割って求める。投資が分子にあるので、大きいほど資本の効率が悪いことを示している。
 日本の限界資本比率は、60年代にはむしろアメリカより低かったが、70年代に上昇して7程度にまで高まった。90年代にはさらに急速に悪化し、現在20を超える驚異的な高さである。 90年代の日本はGDPの30%の投資をして1%余りの成長しかしていない(アメリカは15%の投資で3%の成長)。
面白い指摘と思いました。