領土問題の不愉快な真実

「領土問題の不愉快な真実」を述べた本でした。『領土問題をどう解決するか』(和田春樹著、平凡社新書、2012年10月刊)です。
「固有の領土」について。
 野田首相は、韓国大統領の竹島上陸に「竹島は“我が国固有の領土“であり、大統領の行為は受け入れられない」と表明した。
日本外務省のいう「固有の領土」とは、一度も外国の領土となったことがなく、日本の領土でありつづけている土地だと強調する概念である。
しかし、この用法は外国には通用しない。
「いまだかって一度も外国の領土になったことがない」領土だという外務省の用語法からすれば、(35年の日本統治時代がある)朝鮮半島はあなた方の「固有の領土」にはならないのだといわれたら、隣国の民は血相を変えて怒るでしょう。
 こういう意味での「固有の領土」という概念は外国にはない。ちなみに、和英辞典にも和露時点にも「固有の領土」なる英語も露語もみつからない(概念がないから言葉もない)。
つまり、「固有の領土」という言葉は外交交渉には使えないのだ。“Japan proper”は、日本本土であって、日本固有の領土の意味ではない。
 少なくともロシヤは、日本との間に領土問題があることを認めている。日本が、尖閣で、固有の領土だから領土問題は存在しない、という木で鼻をくくった態度を取るのは、いかがなものか。
北方領土について。
 「北方領土のほうは、8月15日の終戦になってからソ連軍がやってきて、そのまま不法占拠が続いている」(『外交とは何か』(小和田恒著、NHK出版、1996年)
 8月15日が終戦と考えているのは、日本人だけで、国際的には9月2日のミズーリ号降伏調印が戦争終了の日です。当然、ソ連はそう解釈している。
 サンフランシスコ講和会議で日本は千島・カラフトを放棄しました。その時。の発言。
ダレス米国代表「千島列島という地理的名称が歯舞群島を含むかどうかについて質問がありました。歯舞を含まないというのが合衆国の見解であります」。
 吉田日本代表「千島列島および南樺太の地域は日本が侵略によって奪取したものだとのソ連全権の主張は承服いたしかねます。日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシヤもなんら異議をはさまなかったのであります」「千島列島および樺太南部は、日本降伏直後の1945年9月20日一方的にソ連領に収容されたのであります。また日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島終戦当時たまたま日本兵営が存在したためにソ連軍が占領したままであります」。
 ここで吉田は、択捉、国後の二島は「千島南部」の島だと明確に認めている。これに対し、歯舞群島色丹島は「日本の本土たる北海道の一部を構成する」といっているのは、これらの島は千島列島に入らない。だから日本は放棄しないという意思をあらわしたのです。
冷戦時代の日ソ交渉と米国の干渉。
 1955年、当時の鳩山政権は日ソ国交回復の交渉を開始した。
 日露関係の正常化を恐れていた米国は、歯舞、色丹だけでは交渉を難航に導くのに、十分でないと考え始めていた。アリソン駐日大使は谷外務省顧問にあって、4月28日付けの次のような文書を伝えた。「米国は日本がクリル諸島のすべて、ないし一部に対する領有の主張の承認を勝ち取るか、日本が潜在主権を持つことにソ連の同意を得るよう努力することに異議を唱えない」
 8月12日、重光全権は二島返還のソ連案で平和条約を締結することを決断したが・・・
 8月19日、交渉を中断して、ダレス国務長官に会い方針を説明したところ、ダレスは、日本がクナシリ、エトロフ両島をソ連領として認めることはサンフランシスコ条約以上のことをソ連に認めることであり、もしそのような場合には米国としては条約26条により沖縄を永久に領有する立場にたつものであると述べた。
日本はダレスの恫喝に屈し、領土問題は妥結に至らなかった。冷戦時代にあっては、北方領土問題の解決は不可能であったのだ。
 冷戦が終り、ソ連が崩壊した後、領土問題解決の「チャンスはあったのだが」・・・外務省で北方領土問題の解決のために努力していた(二島返還、二頭交渉方式)チーム、欧亜局長だった東郷和彦氏、主任分析官佐藤勝氏、この人々と提携していた国会議員鈴木宗男氏の3人が国家的、社会的に名誉を奪われ、職を追われた。
 最後に著者はこう述べる。
『端的にいえば、戦後65年つづく米軍基地からの沖縄の開放が今日の問題の核心なのです。北方領土問題も竹島問題も、沖縄問題と密接に結びついていました』。同感です。