布施英利著「仏像の見方」(ワニブック新書、2015年4月)を読みました。以下最も印象に残った記述です。 
 最終章で、江戸時代の仏像。円空、木喰について論じています。
木喰は、若いころから仏像政策の修行を積んだわけではなく、60歳までは僧として活動をしていました。その意味では彫刻の素人です。そんな木喰が60歳の頃に、千五百体の仏像を彫ろうと決心します。93歳で亡くなるまで、地方を行脚して仏像を彫り続けました。現在600体以上の木喰物が残されています。
 木喰の仏像は、山梨や新潟、それに栃木などの、地方に多く残されています。「民芸」を提唱した柳宗悦の「再発見」によって注目されるようになった。
木喰仏の「彫刻」としての魅力について考えてみます。
「僕は子供らしい絵をかいたことがないんだ。ほんの小さい特から」。これはピカソの言葉だそうですが、大人になったピカソは「子供」みたいな絵を描こうと腕を磨いた。
 20代のころ、ピカソに一つの小さな事件がありました。画家アンリルソーとの出会いです。その時ピカソは、パリの古道具屋にいました。安いカンヴァスを買うためです。白い新品のカンヴァスよりも、すでに誰かが描いた絵の中古品を古道具屋で買う方が安かったからです。
 絵を描くと、その材料より値段が下がるというのは、描いた人には悲しい話ですが、ピカソのような貧乏な画家にはありがたいことでした。その古い絵の上に、自分の絵を新たに描けば、安くて済むからです。
 ピカソは、古道具屋のガラクタ絵画の中に一枚の絵を見つけました。いかにも素人が描いたような絵です。だから安物なのです。しかしピカソは、そこに「何か」を感じました。誰が描いた絵なのか。そしてピカソは、その絵を描いた人物を突き止めました。もう60歳を過ぎた老人で、田舎から出てきて、下手な絵を描いてはサロンに出品していた。
 ピカソは、その老人を自分のアトリエに招待し、老人画家を礼賛するパーテイを開きました。
「ここに我々が学ぶべき天才画家がいる」などと言う祝辞を贈った。その老人は、スペインから来た若い画家のピカソが何者であるかは知らなかったが、老人にとって、人から絵を誉められたのは人生で初めてのことだった。
 その老人が、画家のアンリルソ−だった。
 古道具屋の数あるガラクタ絵画の中に、アンリルソーの絵を見つけ、そこの自分たちの進むべき道がある、と直感したピカソの眼力はすごい。ともかくアンリルソーはピカソによって発見され、20世紀初期を代表する画家のひとりになったのですから。
 ピカソは、アンリルソーの絵に何を見たのでしょうか。それは「子供の心」というものなのでしょう。日本の江戸時代でいえば木喰の仏像、それと同じ美質がルソーの絵にはあった。
 日本美術の一つの本質とは何かといえば、私はそれを「子供の境地(心)」を磨くことの連続だったと考えています。
「子供の境地」とは、何でしょうか。
「生命の記憶」というキーワードを当てはめて考えたいと思います。
「個体発生は、系統発生を繰り返す」とは、ドイツの生物学者ヘッセルの言葉です。
 子供の世界を見る時、私たちは、その奥に生物進化の歴史を見る。それを「生命記憶」と言う。私たちは、子供を通じて生命の記憶を読んでいる。仏像における子供の要素が放つ、聖なるものの感じ、その正体は、そんな生命の記憶にあったのです。
 最後に著者は三つのスケッチを掲載しています。一つは子供の顔、一つは大人の顔、そして子供と大人をミックスした顔、この顔こそ仏像の顔だと著者は結論します。