『生命とはなんだろう』

((岩崎秀雄著、講談社新書2013年2月刊)を前書きに惹かれて読みました・
 筆者は、1971年生まれ、名古屋大学理学研究科博士課程修了。
『専門外の方とお話しする機会がありました。参加していた主婦の方が「私にとって生命と言えば、まずは自分の娘のこと」。お母さんの言葉は印象的でした。
 「生命」や「死」に対する豊かな感情は、人間が長年育んできた文化の最たるものです。
 ロボットの登場は、人間と機械のかかわりや人間の精神性について興味深い議論を呼び起こしています。またクローン技術やiPS細胞などはその倫理的課題が関心を集めています。
 この本では、生命を「つくる」アプローチに着目して生命と僕たちの関係性について考えてみたい。特に考えてみたいのは、「試験管の中で化学物質を混ぜて細胞を生み出す」といった試みや、遺伝子配列を大規模に改造して新たな生命体を生み出す試みです。
「物質が生命や細胞になるということはどういうことなのか」
人類は壮麗な建築物や、巨大な人的組織を生み出してきたが、細胞一つ、試験管の中でつくることができていません。「単純な細胞」自体がすでに、ものすごく複雑なシステムだからです。この本の目的は、最先端の科学技術のトピックを紹介することではなく、生命科学が僕たちの生命観とどのようにかかわっているか。「生命を理解する」とはどういうことか考える点にあります。
第1章「つくりながら理解する生物学―――細胞をつくるとは?」
第2章「細胞をつくる研究会を作る」
第3章「合成生物学の源流をめぐって」
第4章「表現する生命科学―――生命美学という試み」
 生命科学を「(自然科学的に)生命を表現する美学的な営み」の可能性と意義について考えます。
第5章「現代芸術における生命」
 できるだけ予備知識がなくとも読んでいただけるように試みたつもりですが、それでも読みにくいところが多々あるかもしれません。
もし途中で「この部分は自分には読みにくいな」と感じられたら、とりあえず読み飛ばして先のページに進み、そこからもう一度戻って頂ければと思います。

ということで第1章に入ったが「読みにくい」、読み飛ばして第2章。やっぱり読みにくい。読み飛ばして第3章、第4章、第5章とも読み飛ばして「あとがき」
 本書は、生命科学と芸術をめぐって、デザイン研究家の藤崎圭一郎さんとの対談を聞きに来てくれた、講談社新書出版部の堀沢加奈さんに声をかけてもらったことから生まれました。「まえがき」と「あとがき」が素晴らしい本です。
印象に残ったのは、チュ−リングテストの人間の知性の定義と「生命の定義」の共通性です。
人工知能をめぐり、イギリスの数学者チューリングは、
「機械が知性をもちとはどういうことか」について提案しました。
「特定の人が別室の機械(コンピュータ)と対話して、相手が人間か機械か見分けられなかったら、その機械は知性を持つと判断してよいという提案です。
「何が出来たら人工細胞なのか」という質問の答えについて、同様な提案ができるというのです。