『ゴールドラッシュの「超」ビジネスモデル』(続き)

 この本の狙いを、あとがきから引用すると、
【日本経済が1990年代以降、大きな困難に直面したことは間違いない。しかし、それに対処して行なわれているさまざまなことが、問題の本質を解決するものか否かについて、私は大きな疑問を抱いている。 必要なのは、銀行が合併して図体を大きくすることだろうか?・・・それによって
日本経済が未来に向けて力強い一歩を踏み出せるとは、到底思えないのである。
 あるいは、郵政事業を民営化したり、道路公団を改革することだろうか?・・・しかし、仮にこれらが成功したとしても、日本に明るい未来が開けるとは、とても考えられないのである。・・・「新しい酒は酒は新しい皮袋に」という。政府が唱える構造改革も、・・「ベ
ンチャー育成策」も、「新しい皮袋」を作ろうとするものだ。しかし、その中に入れるべき「新しい酒」がなければ、どんな立派な皮袋を作ったところで、どうしようもない・・
 社会を変革するのは、結局のところ、個人や個別企業の企てである。・・・「新しいビジネスモデルを作り出す新しい発想」こそが求められているのだ。】
 
 以下、その発想について。
 20世紀における世界の先進工業国の歴史は、「大組織化」、「集権化」などのキーワードで特徴付けられるものであった。「大組織化」、「集権化」という方向から、アメリカ社会は大転換したのである。この変化が生じたのは、20世紀の最後の10年間だった。
 「産業社会で人々が農場を離れて工場で働くようになって以来の根本的な変化」で、アメリカ社会は「産業革命以前の社会に、つまり・・・職人の時代に戻りつつある」
 技術的に見ると、これを可能にしたのがITである。かつては大企業の独占物だったコンピュータや通信手段を個人でも所有できるようになったのである。
 製造業における日本の優位性がいつまでも続く保証はない。どんな分野であれ、製造業はいずれ中国に移行してゆくだろう。違いは、それが数年後なのか、10年後なのか、あるいは20年後なのか、ということだけである。 しかし、ここ数年の対中国特需で、伝統的な重厚長大産業が息を吹き返してしまった。
 「このままでも何とかなるだろう」と、多くの人が考えるようになった。・・・しかし
「過去を成立せしめた基本条件が変化した」・・・これからの社会で必要なのは、組織ではなく個人、・・・

 ゴールドラッシュから150年を経てシリコンバレーに復活した自主独立のメンタリテイ(個人の創意が社会を創る)に比較すると、所属する集団がすべてであるとする40年体制のメンタリテイ(これこそが日本製造業の優位の基礎であった)は、まことに対極的である。1940年体制(の発想)からの脱却こそ、日本の未来を開く鍵である。
 かつて『1940年体制』なるキーワードで日本社会を解明した著者は、このよう
に説くのです。