100%仮説(つづき)

初日は6時前までの講義、二日目は10時から3時過ぎまでの講義でした。
 こんな話がありました。いわゆる「失われた10年」と言われる平成の不況について、
竹中大臣はその原因を、こう述べている
 日本システムの制度疲労
 グローバル化への対応不十分
 金融問題・・・」
 ここで、小生が質問しました。
「先生が竹中大臣の説に賛成という意味で、竹中説を紹介されているのか,賛成ではないが竹中説があることを紹介するということなのか分かりませんが、”グローバル化への対応不十分”という説には賛同しかねます。何故なら,私には、ホンダやトヨタソニーが國際化の対応に遅れたとは思えませんから。これは竹中さんの仮説に過ぎないのでは?」
 すると先生は、「確かにソニーやホンダの対応が遅れたわけではありません。でも、遅れた企業が沢山あったのでは?」
 率直に言ってびっくりしました。そんなことを言ったら、論議が正しいか正しくないのか、判定が出来ない。正しくないという事例が一つでも見つかれば、その論は正しくない
というのが、科学ではないのか!(経済学は自然科学ではないが社会科学と
言われるのに)経済学はサイエンスではないのか?
 冒頭に紹介した『99.9%は仮説』にこんな話がありました。
【科学の世界では、絶対に正しいと思われていた定説がひっくり返った例はゴマンとある。例えば、エガス・モニス(1874〜1955)というポルトガル人の医者が1949年ノーベル医学賞を受賞しました。1935年、精神病を治療すると言うロボトミー手術を初めた業績に対して与えられたのです。「ロボ」とは前頭葉・側頭葉の葉で、「トミー」とは切断、切除の意味。つまり、脳の前頭葉を切る手術です。
カッコウの巣の上で』という映画(1975)が昔ありましたが、このロボトミー手術の
悲惨さを告発する映画でした。現在では、前頭葉には脳の司令センターがあり、ロボトミー手術でそこを切ってしまうと人格そのものが破壊されてしまう、ということは医学界の常識ですが、当時はこの手術の有効性が信じられ、アメリカだけでも一万件の手術が行われた。】
 日本の近年の経済運営が、誤った仮説に基づく”ロボトミー手術”でなければ良いのですが・・・

 最後に、レポート提出。「”さらば経済成長”という言葉について所感を記せ」というので「経済成長が不必要とは言わないが、経済政策の目標は国民のくらしの向上にあるのに、近年、経済成長が国民のくらしの向上に結びついていないのでは?だから、経済成長率という指標で国の経済運営を考えることは意味がない。という意味で”さらば経済成長”に賛成です。例えば、正社員と非正規社員の比率などの直接的な数字を経済運営の指標とすべきと考えます。」
 それから、景気の定義について私論を追記しておきました。
「GDPの時間微分が経済成長率(GDPの速度)で、経済成長率をさらに時間微分した(GDPの加速度)が「景気」と考えますが、いかがでしょう」