米原万里さんの書評

 このところ同年代の有名人の訃報が続く。田村高広、岡田真澄吉行理恵今村昌平、そして米原万里。自ずと自分の年齢と寿命を考えることになります。
 先日、寿命というものは健康寿命が、真の寿命だと私は思っています。平均が72歳だそうですが、平均というのは、それより長い人も短い人もいるから平均になる。平均まで後2年半ということを気にしても仕方がない、と密かに自分自身に言い聞かせています。

 それにしても、米原万里さんは、惜しい人を亡くしたと残念に思います。まだ56歳の若さでした。
 彼女の本は、何回かメールで紹介したことがありますが、実に才気溢れる著作でした。
 最近、癌を患い、週刊文春の読書欄に、「がん治療法 わが身をもって検証」というタイトルの寄稿を続け、同誌の5月18日号にその3回目が載っていました。5月18日号ですから、執筆は5月上旬と思います。それが25日に死去されたということですから、全く突然の訃報で、驚かされました。
 彼女の著作もさることながら、雑誌や新聞に載せた書評がなかなかのものでして、私は、いつも書評欄に彼女の名前を見ると、メモしたり切抜きをしたりして、彼女の推奨する本を読むようにしてきました。
 手元の手帳の中に、その新聞の切り抜きがありました。

上野千鶴子小熊英二鶴見俊輔にその戦中体験を聞きだす『戦争が遺したもの』(新曜社)がすごく面白い。・・アメリカに留学中アナーキズム本を読んでいたため留置場に入れられたとき、便器の上で書いた卒論がハーバード大の教授会で通って卒業できた話とか、「負けるときに、負ける側にいたい」「勝つ側にいたくない」という思いで
交換船で帰国した日本で徴兵され、配属されたジャワで士官用慰安婦の調達をさせられた話とか・・・エピソードに爆笑し呆れ返りながら、日本と日本人について生き生きと感じ考え続けてきた独創的な知性に魅了される。・・・
 (日本は)試験で優秀な成績をおさめ欧米の知識を詰め込んだ秀才が権力の座につける仕組みを作ってしまった。秀才は模範答案を書こうとする。自由主義が流行れば自由主義の、軍国主義が流行れば軍国主義の模範答案を書くような人間が指導者になった。「そういう人間がどんなにくだらないかということが、私が戦争で学んだ大
きなことだった」という鶴見の言葉は、そのまま今の日本に当てはまる。』

 この本、まだ読んではいないのですが、是非読んでみたい。実に惜しい人だったと、改めて、思っています。

追伸:2日の中日夕刊に作家の池澤夏樹さんが「米原万里さんを悼む」を寄稿、「・・書評にも力があった。本を選び、正確に読み、読み取ったものを雄弁に表現する。ぼくは特にお願いして自分のウェブサイトに彼女の書評をすべて掲載させてもらっていた。」と、述べていました。

http://www.impala.jp/bookclub/index.html
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