馬上少年過
プールの帰りに図書館をのぞくと、新刊の棚に「司馬遼太郎短編全集12」があった。以前読んだ短編も、読み直してみようと借りてきました。
巻頭に「馬上少年過ぐ」がありました。昭和43年の作で、40年近く前に読んでいますが、あらためて作者の「小説作りのうまさ」に感じ入りました。伊達政宗の一生に材を得た作品ですが、中にこんな個所がありました。
『越後の上杉謙信、尾張の織田信長、三河の徳川家康らはみな大名の子で、その父の経営のあとを継いでそれを拡大飛躍させたが、その父たちはみなそろって非命にたおれ、早世しているため、かれらは父の代までの旧習になじむことなくあたらしい秩序をひらくことができた。』
そうだと思いますよ。今、時代は激変している。日銀総裁も郵政会社のトップも、過去の成功体験のある老人を起用して大丈夫な筈がない!
人間というものは、所詮自分の体験したことしか拠り所がないと思います。だから、時代が変化した時、以前の時代の成功体験のある人ほど、新時代に対応する策がとれないのでは?
小説のタイトルは、政宗の有名な詩から来ています。
馬上少年過ぐ
世平かにして白髪多し
残躯天の赦すところ
楽しまざるをこれいかん
政宗のこの詩に因んで、宇和島市に「天赦園」なる公園があるそうです(因みに宇和島藩の初代藩主は政宗の長子)。
http://www.mapfan.com/spotdetail.cgi?SPOTCODE=SUH3KWW06
読み終えて、司馬さんの「街道をゆく」に、この辺のことを詳しく書いたのがあったと、書棚から「街道をゆく14 南伊予・西土佐の道」を取り出してみました。奥付をみると、’96年3月の刊ですから10年前に読んだらしい。
この詩の後半が、こうなっていました。
残躯天の赦すところ
楽しまずして是を如何せん
その後、鉛筆でこうメモ書きがありました。
残躯天の赦すところなるに
是を楽しめざるを如何せん
政宗の真意は鉛筆書きの方ではなかったか?と、私が書き込んだようです。
つまり、「運ありせば(もう少し早く世にでていれば)家康ではなく、自分が天下を取っていたのに、と思うと、鬱々として楽しめない」。