補論・あの戦争は何だったのか

 7月20日の夕刊は、昭和天皇靖国参拝中止の理由を元宮内庁長官がメモした資料が見つかったと、大きく報道していた。日経朝刊の特種を各紙が追随していました。
 「松岡や白取まで合祀された」と嘆いてみえたと言う。日独伊三国軍事同盟を推進した当時の松岡外相や白鳥伊大使の合祀が、意に添わなかったということらしい。
 同時に、「陸上自衛隊イラクから完全撤収。空自は残留し活動範囲は広がる」とも報じている。
 これらの記事を見て「あの戦争はなんであったのか」(新潮新書保阪正康著)を再度読み直したくなった。昨年読んで、たいへん面白いと皆さんに紹介した本です。

http://d.hatena.ne.jp/snozue/searchdiary?of=2&word=%a4%a2%a4%ce%c0%ef%c1%e8

 その時には、この本に紹介された興味あるエピソードを中心に紹介しましたが、「何か大事なことを書き漏らした」ような気がして、もう一度読み直し、終章に以下の記述を見つけました。
【誤解を恐れず結論的にいうなら、「この戦争は始められなければならなかった」のだ。戦争でなくなった310万人のことを考えると、本当に気の毒としかいいようがない。しかし、日本はやはり戦争に向かう”必然性”があったのだ。と思う】

 その”必然性”とは何か?
 よく言われることだが、日本の場合、ナチスドイツのヒットラーのように、誰が世界戦争を企画したというような人がいない。その場その場で、「じゃ、仕方がない。こうしようか」ということを繰り返していて、いつの間にか何百万の自国民を殺し、アジヤ各地で多数の犠牲者を出すという大戦渦をもたらしてしまった。
 「東京裁判は報復裁判であって、とうてい公平な裁判とはいえない」という日本人は多い。しかし、私の疑問は、「そうだとしたら、あれだけの被害を国民にもたらした責任者は誰で、彼のどういう行為が間違っていたのか」を明らかにして、あのような戦災の再発防止策を、何故、講じないのか?
 その意味で、日本人の行なう東京裁判が必要ではないのか?と思うのです。今だって(バブル以後の日本社会も)、持ち場持ち場の人たちが、その場その場で、「じゃ、仕方がない。こうしようか」を繰り返しているのではないでしょうか?
 戦争に向かう”必然性”があったのなら、その”必然性”を、システムの面と、国民性というか、日本人の仕事の対処法の面、両面から検討が必要と思います。

 ご承知のように、旧憲法下の日本は軍の「統帥権」と内閣の「統治権」の下にあった。「統帥権」と「統治権」が衝突した場合、その統合を果たすのは、天皇しかいない。ところが天皇は、英国流の立憲君主たる薫陶を幼少より受けられ、2.26とポツダム宣言受諾以外は輔弼者の言に従われただけ。
 この本の中で述べられていることだが、こと太平洋戦争に限って言えば、戦争を始めたのは海軍であった。中国大陸で陸軍が”赫々たる戦果”を上げているのに、海軍は何をしているか!中国大陸に軍艦を乗り込ませるわけに行かないので、米英と戦争を始めたという信じ難い話が紹介されている。
 そうした「統帥権」の暴発を統御する「統治権」が存在するシステムになっていなかった。「システムを考える」とは、全体を考えることだが、天皇の輔弼者は、自分の担当部門しか考えていなかった。
 「システムについて考える」ということが、日本人の苦手とするところで、自分の持ち場のことしか考えない。全体としてシステムがどう動いているかを考えようとしない。
 また、上司は、言われたことのみ真面目にやっている部下を好み、「全体ではどうなっていますか?」などと質問する部下を好まない。つまり、全体が「システム音痴」
になっている。 筆者の言う”必然性”は、「システムを直そうとしなかった統治者の不作為」に起因すると考えます。