ファインマンさん

 図書館の書棚を眺めていたら『ファインマンさんベストエッセイ』(岩波)という本を見つけ出した。
『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波現代文庫)」という書名は、聞いたことがあるな、と手に取ってみたら、01年3月の刊行で一寸古いが面白そうなので借りてきました。
 解説によると、ファインマンは文章を書くのは好きでなかったみたいで、多くのエッセイは講演や対談を文章にしたものらしい。この本の巻頭もTV対談の『ものごとをつきとめることの喜び』があった。
 面白いのでさわりを紹介します。
 先ず量子電磁力学の研究によるノーベル賞について
 【僕がやったことをかいつまんで言うとね。これは同時に日本の朝永振一郎とジュリアン・シュウィンガーの二人が別々にやっていた仕事だが(1965年3人がノーベル物理学賞受賞)・・・量子論をどのようにコントロールし、分析し論じればよいのか・・・実験結果と一致する理にかなった計算ができるかを考え出したということなんだ。(この)1947年の仕事でノーベル賞をもらうことになったんだ。】
 三人が独立に研究してそれぞれがほぼ同じ頃、同じ結果を出したということが面白い。
(原爆開発計画の参加について)
 【倫理的な問題についてだが、僕にも言いたいことがある。この計画が始まったとき僕が参加したのは、ドイツの連中に先を越されたちゃ危険だという思いからだった。結局それが・・・計画に僕を駆りたてたわけだ。・・・こういう計画というものはやろうと決心したら、とにかく何とか成功させようと努力をつづけるものなんだ。
僕が道徳に背くと思われるようなことをしたとしたら、それは、この計画に参加したときのそもそもの理由を、思い出さなかったことだろう。ドイツが負けてその理由がなくなったとき、そんなことは念頭にも浮ばなかったんだ。状況が変わったのになぜまだそれをつづけているのか、それを考え直す必要のあることなど思ってみもしなかった。僕は考えることを止めていたんだな。】
 この子にしてこの親あり、という話。
【MITに入って2,3年してから帰省してくると、「いよいよお前も科学について最高教育を受けたんだから、前からわしがどうしてもわからなくて聞きたい聞きたいと思っていたことを説明できるだりうな」と言い出したんだ。「何だい?」とたずねると、おやじは原子が一つの状態から他の状態に移るとき、光子と呼ばれる光の粒子を放出するんだそうだな、と言った。僕がそのとおりだと答えると、「さてその光子だが、出てくる前から原子の中にあったのかい?それとも始めはなかったものなのかい?」と聞いたもんだ。
「いや、原子の中にはじめから光子があるわけじゃないんだ。ただ電子が状態を変えるときになるとでてくるんだよ。」
「じゃあ、いったいどこからどうやって出てくるんだね?」
 僕がちっとも納得のいくような説明ができないってんで、(おやじは)いささか不満だったらしい。こうした疑問を解決するために、僕を大学に送ってさんざん教育を受けさせたというのに、とうとう満足な答えを得られなかったんだから、この点ではおやじも失敗したことになるな(笑)。】
 以下、いささか辛辣ですが、小生も同じ疑問を持っています。
 【科学が成功したせいで、一種の疑似科学といったものが生れたと僕は思うね。その科学でない科学の一例が社会科学だ。なぜかというとあれは形式に従うだけで、科学的な方法に従っていないからだよ。データを集めてみたり、もっともらしくあれやこれややってはいても、別に法則を見つけるわけでもなし、何も発見していない。
・・・何とかいうゴタクをでっちあげる。そりゃほんとうかも知れないし,ほんとうでないかも知れないが、どちらにせよ証明なんかぜんんぜんなしだ。】
【僕は何かをほんとうに知るということがどんなに大変なことか、実験を確認するときにはどれだけ念を入れなくてはならないか,まちがいをしでかしたり、自分をうっかりだましてしまうことがどんなにたやすいかを、肝に銘じているからなんだ。何かを知るということはどういうことなのか、僕は知っている。だが連中の情報の集め方を見ていると、なすべき研究もせず、必要な確認もせず、決して欠かせぬ細心の注意も払っていないじゃないか。だから彼らが本当に知っているとは信じられないんだ。】