一万年の天皇

『一万年の天皇』(上田篤著、文春新書)を読みました。
 天皇制tとい制度は、上田さんの説によると、天智・天武・持統の時代に完成したそうです。つまり、約1300年前。しかし、1300年前革命があって突然天皇ができたというわけではない。それ以前からシステムは異なろうと天皇自体は存在した。そこで、上田さんは、1300年前からの天皇制を後期天皇制、それ以前を前期
天皇制と呼ぶ。 では、前期天皇制の起源をどこまで遡ることができるか?日本に文明が発生したときからあるのではないか?そこで日本の文明(つまり縄文文化)が何時頃から発生したかを調べると、1万年以上前ではないかというのです。1万年は凄い!(中国の歴史は4000年、エジプトの歴史は5000年であることうを考えれば凄さがわかる)
 ともあれ皇紀2600年どころか1万年前から日本には天皇がいたと説く。
「1万年の天皇」という書名の所以です。
 で、上田さんの説くところは、男系天皇と言ってもたかだか1300年のことであって、天皇1万年の歴史から言うと、考古学的な時代には、どこの社会も母系であったし、日本の天皇は当初双系(男系・女系の両立)であったと思われる(この辺りは考古学にも古代史にも疎い小生には真偽が判断できません)。
 だから、男系の原則を捨てても構わない。その場合は長子相続制がのぞましい。
 何故なら、長子相続とは、「長幼序あり」年上を優先することであり、それが日本文化の特徴でもあるから。
 例えば、相撲をみてみよう。【日本の相撲界にはたくさんの外国人がはいってきているが、かれらがいちようにとまどうのは、練習のきびしさでも日本の生活習慣になれることでもなく、この「先輩後輩関係だ」といわれる。
 じっさい相撲の世界の上下関係ははっきりしている。番付が一枚ちがったら、給料にせよマスコミの取り扱い方にせよ天と地ほどの違いがある。それは外国人力士にはよくわかる。
 ところがそれは表向きの世界であって内輪の世界になると、たとえば部屋の中では先輩後輩の序列が厳然として存在する。番付の上位にいるわかい力士も、番付下位の先輩にたいしては敬語をつかう。風呂場では背中を流したりする。こういうことは世界中ではほとんどみかけない。特殊日本文化である。
 外国人力士たちははじめそれにとまどうが、しかしなれてくると「これはすばらしい制度だ」という。・・・わたしはここに、日本の競争社会におけるひとつのセーフテイ・ネットをみる。たとえ先輩の成績がわるくても、後輩たちが敬意をもって接してくれるからだ。もし敗者の先輩がみんなからバカにされるようだったらそれこそ先
輩がいたたまれないだろう。・・・】長くなりましたから端折ります。 大事なことは、天皇という文化を後世に伝えることである。持統帝以来の天皇の文化を考えると、明治帝以後終戦までの天皇は、日本の天皇の中で異質だった。
 【明治(天皇)は、歴代天皇とどうよう小さいときから和歌をよくよまれた。だが「恋歌をよまれたのは明治11年までだ」・・・】
 われわれは日本古来の文化をもっと大事にすべきです。例えば
【大都市にかぎらず中小都市でさえ、かつての町並みはほとんどこわされ、わずかに昔の日本の町の存在をしめす建造物としては城郭があるぐらいだ。
 それもかぎられた都市にしかない。しかもその城郭のなかで昔の天守閣が存在するのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、高梁、松江、松山、高知、丸亀、宇和島の12の市町にすぎない。】(私はこのなかで宇和島城だけ訪れたことがない--宇和島に駆けっこに行かなくちゃ)
 以上250ページ余を大胆に要約しましたので、上田さんの本旨と違う部分もあると思いますが、本旨以外の雑談的部分がとても面白い本です。