無思想の発見

 昨年12月に出て買った本を、今読んでいます。『無思想の発見』(ちくま新書養老孟司さんの本、本人が「あとがき」に【この本は売れない。売れないと思う】と書いているように、養老さんの本にしては珍しくあまり売れなかった。しかし、読んで見て、これは、今までの養老さんの本でベストだと思いました。
 【ぼちぼち70歳に近くなってきた。そうなったら、意外にも日本が心配である。
これまでそんな心配をするヒマはなかった。忙しかったからである。さすがに歳をとってすることがなくなったらしい。】と、述べるように憂国の書です。
【だから日本の軍隊では、兵と下士官はいいが、将校はダメだといわれたのであろう。将校は概念世界の生き者だからである】
 軍隊に限らない。政党でも、会社でも、日本人の作る組織は概ねリーダーがダメ(例外もありますが)。その理由を、養老さんが解説しています。
 リーダーに要求される資質は、「概念世界の思考力」。例えば、宗教とか思想というものは、概念世界の思考を繰り返して作り上げる。
 ところが、日本人は、”無宗教”で”無思想”なのです。その”無宗教”とか”無思想”は、山本七平の説くように、”無宗教”という宗教(日本教)であり、司馬遼太郎の説くように、”無思想”という思想なのです。
 思想とか宗教とかは、平たくいうと、人が何かの事象に直面した時に、どう判断し決断したら良いかを、頭の中に設定した基準です。
 ところが、どうやらその基準が、日本人の場合、頭の中にない。
 それが、”無思想”とか”無宗教”とかいわれるものの実体ではないでしょうか。
 行動の基準が、自分の頭の中になく”世間”にある。”世間”の風を五感に感ずることで、自分の行動を決めている。
 概念の話を「そりゃ、哲学だろう」って、行動と無関係なものと思って、生きている。
 日本人は頭の中の概念操作よりも、自分の五感に頼って生きてきた人種です。
 概念を、自分の基準とすることに慣れていないので、概念を操作する思考を必要とするリーダーに適した人材が少ない。
 ところが、その五感で感ずる”世間”が危うくなってきた。
【”世間”が危うくなってきたのは、自営業が減ったからであろう。】つまり、サラリーマンが増えた。サラリーマンは、仕事よりも上司を大事にする人たちが多い。
 【昔風の職人なら、たとえ月給を貰っていても、仕事が優先であろう。
 職人や農民は、感覚世界での仕事がほとんどである。・・・少なくとも仕事が感覚世界に根付いているかぎり、「信用できない」ことは生じようがないのである。・・・
 やがて儲かる筈だからといって、いたるところに杉を植えた時期がある。・・・
 杉なんか育つ筈もない山の上まで、杉を植えてしまった。
「こんなところに良い杉なんか、育つわけがないだろうが」
 それを変えてしまうのが、「一本植えたらいくら」の補助金であろう。
 補助金を出す人は「偉い人」で、実際に木を植える人は「偉くない人」である。】
 まァこんな話が次々と出てくる本です。
追伸:上記の【 】内は養老さんの記述で、【 】外は私の解釈です。