続・無思想の発見

 養老孟司さんの「無思想の発見」に、もう一つ、脳の働きと言葉について、興味深い記述がありました。
【目の前にリンゴ2個とナシ2個があるとする。感覚世界では、それはただちに「違うものが四つ」として認識される。・・・ところが「同じ」という世界、言語=意識の世界では、それはナシ二つとリンゴ二つである。ここでは四つが二つになった。両
者はともに果物である。そこで一つになった。果物は食物の一部である。更に食物とは、概念は順送りに大きくなる。つまり、言葉の世界、意識の世界は、「同じ」、「同じ」を繰り返して、その意味で世界を単純化していく。】
【二つのリンゴは概念化すれば「リンゴ」として同じ」だが、見て嗅いで触って、食べてみれば、違うとわかる。】
【言葉というものは、きわめて乱暴なものである。赤かろうが青かろうが、酸っぱかとうが甘かろうが、大きかろうが小さかろうが、すべてはリンゴである。それじゃあ、絵を描けといわれたときに、乱暴な絵しか描けないにきまっているではないか。
「どのリンゴでもありうるようなリンゴ」を描こうとするからである。それに対して、特定のリンゴを思い浮かべようとすると、そんなものは覚えていないことに気付く。・・・特定のリンゴを記憶していないのは、その種の具体的な記憶を溜め込んだ
ら、言葉の世界が自由に繰れないからである。】
【「同じ」で次々に括られる(ということが)概念の世界を示しているわけで、つまり脳ミソのはたらきを示している】

【(日本人は)「思想なんかない」と言って、「思想をただちに現実に変換する」】
つまり【思想に都合のいいところがあれば、自民党に頼んで、ただちに現実化してしまう。(そうして)・・・思想はただちに不要になる。(思想と現実とは階層関係にあるのだが)】
【日本人は階層を考えるのが苦手である。】
【意識は「同じだという強いはたらき」だと述べてきた。それが言葉を作り出す。・・・
 動物はどうして「言葉を話さない」のだろうか。いちばん大きな理由は、動物は感覚の世界、差異の世界に住むからであろう。
 ・・・飼い猫が仮に言葉を覚えようとしたとする。男主人はネコといい。女主人もネコという。しかしその音程ははなはだしく違う。それを聞いたネコは、「同じ言葉であるはずがないじゃないか」と思ってしまう。】

 科学は感覚による対象の測定を基礎としつつ、「同じ」という関係を見つけ出す。
つまり、【科学は感覚の世界を基礎とする。そこから「同じ」世界を見直すだけである。】

 以上、とっても面白いと思ったのですが、皆さん、面白くないででしょうか。
実は、昨年メールで「五感で得られた体験を階層化して記憶するのが脳の働き」と述べましたが、この私の仮説を補強する仮説だと考え、面白かったのです。