経済の三角形

 中日新聞の寄稿を読んで、浜矩子さんに関心をもち、図書館で検索して「経済は地球をまわる」(浜矩子著、ちくまプリマーズブック、01年7月刊行)という本を借りてきました。

期待にたがわずユニークな人でした。最も気に入った言葉は、
『良きエコノミストたるための必要条件は三つある。
 第一に独善的であること、第二に懐疑的であること。そして第三に執念深いことである。懐疑的とは、自分以外の人々はいつも必ず間違っていると核心すること。そして執念深いとは要するに絶対に敗北を認めないことである。これだけ揃っていると、多数に引っ張られて事態を見誤ることはかなりの程度まで回避できる。
 だが、これが全てではない。独善的で懐疑的で執念深いというだけでは、ただのひねくれ人間だ。性格が悪いだけでは、エコノミストとしてやっぱり失格だ。十分条件として、真実を見極めようとする情熱と真摯さ、そしてすぐれた歴史感覚を併せ持っていなければならない。』

 90年代の「失われた日本」などを材料に、一般向けに書いた現代経済の解説書ですが、そのポイントは、浜説では、経済の三角形。

『経済活動とは、そもそも何か。その形は三角形だと筆者は思う。経済活動という名の三角形の三辺を構成しているのが、成長と競争と分配という三つの要素である。成長をいいかえれば雇用創造、競争をいいかえれば強者生存、分配をいいかえれば弱者救済だ。

 (成長)より多くのものを生産するようになれば、そのためにより多くの人手を要する。したがって、成長率の高い経済はより多くの雇用を創造し、より多くの人々に働く機会を提供することが出来る。

 もっとも、人手を増やさないで生産量を増やすことも実を言えば可能だ。だが、このやり方があまり一般化してしまうと、結局のところ、経済全体はあまり成長しなくなる。なぜなら、人手が増えないということは、働いてお金を稼ぐ人が増えないことを意味するからだ。お金を稼いでいなければ人は物を買わない。物を買う人が増えなければ、たくさん物をつくっても売れ残るだけである。だから、生産は拡大せず、経済は成長しない。その意味で、成長と雇用創造は本質的なところで切っても切れない関係にある。

 (競争)競争原理がしかるべく働かないと、経済活動の調子は狂う。何事もそうだ。野球でも、弱い選手を一軍に入れていたのでは試合に勝てない。試合にかてなければジリ貧だ。・・経済もまったく同じだ。

 (分配)人間の能力は多様だ。競争に勝つことばかりが能ではない。多様な能力を取り込んで、生かしていくことが出来なければ、そのような経済の活動は必ず行き詰る。
競争なき分配社会が純粋社会主義経済だ。・・・分配なき競争社会が純粋資本主義経済である。』

雇用を創造しない経済成長は、政府(お役人)は税収が増えるのでありがたいだろうが、国民福祉にとっては意味がないと思います。