分かるっていうこと

『遺伝子・脳・言語』(堀田・酒井著、中公新書、07年3月刊)という本を読み
ました。「カフェ・デ・サイエンス」という武田計測先端知財団の、市民と科学者が
対談する催しを本にまとめたものDす。
 以下、脳の「分かり方」についての議論、面白かったので紹介します。

『「分かった」というときに、脳の中でどんなことが起っているのか?
 MRIという装置を使って測定し、文章が分かっているときに活動する脳の場所が
見つかりました。それは左脳の前頭葉の下の部分です。「ブローカ野」という場所を
お聞きになったことがあると思います。・・・そのすぐ下のところです。
 学校教育で「分かる」というのは、頭の中にファイリングキャビネットのような入
れ物があって、入って来る言葉を次々と分類して放り込むことができる状態にあるこ
とです。』
 (脳内のキャビネットは人によって違う。だから分かり方は人によって色々あるこ
とになる。(NOZUE))

 失敗学の畑村洋太郎さんは『創造学のすすめ』(講談社、03年12月刊)の中で、
キャビネットでなく、テンプレートという言葉で説明しています。

『「わかる」パターンは三つあります。それは「要素の合致」「構造の合致」
「新たなテンプレートの構築」です。』

(1,2番目は)『これらはいずれも、目の前の現象とほぼ同種の要素や構造が
テンプレートとして自分の頭の中にあるときの理解の仕方です。

 これに対して3番目は、前の二つとはちょっと質が異なります。
現象の要素や構造を見て、・・・これに該当するテンプレートが頭の中に
あらかじめできていないことがあります。そのために人はその現象を見たときに
すぐには「わかった」とは思わず、いったい目の前の現象は何だろう」

ということになります。そこから新しいテンプレートをつくって取り込むことで
理解にいたるのが、第三のパターン・・・

新たなテンプレートの構築こそが「学習」といわれるものなのです。』
もうひとつ、体を使って「分ること」について、酒井さんの本から。

 『「自転車に乗れるというのは反射神経じゃないですか。」
 自転車に乗れるようになったときに何が(脳に)起っているかを考えてみると、実
は獲得した能力は何もないんです。むしろ、余計な出力が出なくなった。その結果と
して、自転車に乗れるんです。
 学習したっていうことは、何かを得たことだ思うかもしれないけれど、得たんじゃ
なくて、余計なことをしなくなったんだということもある・・・』

『分る』って、脳の省エネが出来るようになること?