わが人生の歌がたり

 流行歌の話題です(昔は演歌といわず流行歌)。五木寛之の『わが人生の歌がたり』
を読みました。

 著者の語り。いちばんうなったのは、「星の流れに」を語った次のくだりです。
『星の流れに 身を占って
何処をねぐらの 今日の宿
荒む心で いるのじゃないが
泣けて涙も枯れ果てた
こんな女に誰がした。』
(2番 略)

 当時の録音を聴くと、菊池章子さんの、歌いぶりは、なにか昂然と胸を張って北風に向かって立っているという感じです。

「こんな女に誰がした」というけれども、泣いたり嘆いたりしているのではなく、自分はこう生きているという挑戦的な感じが歌声に響いている。

 伝えられるところによると、作詞の清水みのるさんが、(新聞)記事を読んで義憤にかられて一気に書き下ろし、作曲の利根一郎さんも燃えるような思いでこの曲を書き、作品をもらった菊池章子さんも、自分と同世代に、こんなつらい暮らしの中で生きている女性たちがいるのかと、泣きたいような気持ちを胸に秘めて歌ったといいます。・・・

 後の時代の反戦歌もそうですが、社会に向かって抗議するプロテストソングみたいに、熱い思いのなかで作詞、作曲され、歌い手が歌うという、メッセージとしての歌だからこそ、いまだに私たちが忘れられないのではないでしょうか。』

 そうだ。プロテストソングなんだ!と、うなった次第です。(彼女が後に歌った「岸壁の母」もプロテストソングだったと思う。)

 これも伝えられた話ですが、この歌をレコード会社は、淡谷のり子に歌わせようとした。

「こんな惨めったらしい歌はうたわない」と彼女は断ったらしい。

 お鉢が回った菊池章子は、惨めったらしい歌をプロテストソングに歌い上げて、彼女の最大のヒットソングにしてしまった。