愛すべき名歌たち ―私的歌謡曲史

”一日二杯の酒を飲み、肴は特にこだわらず
 マイクが来たなら微笑んで、オハコを一つ歌うだけ”
 川島英五が歌った『時代おくれ』です。
”似合わぬことは無理をせず 人の心を見つめつづける
 時代おくれの男になりたい”
 この詩の作者、阿久 悠がなくなりました。
 TVニュースで彼の訃報を聞いた昨夜、すぐインターネットで”阿久 悠”を検索すると、Wikipediaのページが出てきました。
「2007年8月1日 AM5:29 尿管癌で死去」の記述がありました。「すごい!」、インターネットのスピードは驚異です。
 彼は、昭和12年2月の生まれ、小生は前年の10月の生まれですから、学年で言えば同学年。同世代の体験を共有しているんだ、と阿久さんのエッセイを読む度に感じさせられましたが、同時代人の死は、寂しいものです。
 ”お酒はぬるめの燗がいい
 肴はあぶったイカでいい
 女は無口のひとがいい
 灯りはぼんやり灯りゃいい”(舟歌
は皆さん、口ずさんだことのある方が多いと思います。演歌の嫌いな方も、「駅―ステーシヨン」での、高倉健倍賞千恵子のシーンは記憶されているのでは?
 彼の歌には”人生”があったと思います。言うならば、彼の歌は「5分間の人生」でした。
 「5番街のマリー」、「ジョニーへの伝言」も人生の一断面を語っていました。

 私が最初に阿久 悠に驚嘆したのは『懺悔の値打ちもない』(昭和45年)でした。
”あれは2月の寒い夜 やっと14になったころ
 町にちらちら雪が降り 部屋は冷え冷え暗かった
 愛というのじゃないけれど 私は抱かれてみたかった”
 という北原ミレイのデビュー歌です。
 北原ミレイは、東三河の出身ですから私と同郷で、デビューから注目していたのです。
(この後、彼女はなかにし礼の作詞した「北狩挽歌」でスターの座にかけあがりました。)

 書棚から阿久 悠の著書をを探したら「愛すべき名歌たち ―私的歌謡曲史―」という岩波新書が出てきました。97年4月から99年4月まで朝日に連載したエッセイで、「湖畔の宿」から「川の流れるように」まで日本の歌謡曲100曲を取り上げて論じたものです。
 この本の最後は、”「川の流れのように」は昭和を送る歌なのか、昭和に贈る歌なのか、ふと考える。”
 彼の詩はわれわれの時代を送る歌だったのか、あるいは時代に贈る歌だったのか。

追伸:詩という文学とレコードを売るという資本主義社会の、折り合いをつけたのが彼の存在でなかったのか、そんなことを思いました。