落日燃ゆ

 東京裁判のNHK特集を見て、昔読んだことがあるのですが、城山三郎著『落日燃ゆ』(城山さんも先日NHK特集がありました)を再読したくなりました。A級戦犯として死刑に処せられた唯一の文官、広田弘毅の伝記です。
 2.26事件の後、首相に就任した広田は、何故、陸海軍大臣の現役軍人制を認めたかを、城山さんがどのように記述していたかを、読み直したかったのです。
 幸い、図書館に行くと、8月15日記念で戦争関係書籍の特集をやっていて、『落日燃ゆ』も展示されていました。以下、同書から、2.26事件後の事情を抜書き。
『(2.26)事件当時の陸軍次官、軍務局長、陸軍大学校長などは退官または更迭となり、さらに全軍的な責任を問うとして、軍事参議官全員が辞職し・・・三千人に及ぶ大規模な人事異動が発令された。・・・
 こうして、形としては、一応、思い切った粛軍が断行された。ただ、これが軍部が全面的に反省の意を示したためととることはできなかった。かねて軍部内に派閥争いがあり、この事件を契機に、統制派が皇道派を徹底的に締め出そうとしたことが、内部的に粛軍の大きな推進力となっていた』
 『粛軍の一環として、軍部現役大臣制への復帰という提案が、陸軍から出された。
 最初、陸海軍大臣は現役の将官に限られていたが、これでは現役軍人の発言力を絶対的なものにし過ぎるというので、大正2年、山本権兵衛内閣のとき、予備役の将官を含めることに改めた。
 それをまた、いまとなって旧の現役大臣制に戻そうという軍部の言い分は、
<この事件の責任をとって予備役に退いた大将たちが、また大臣として復活してきては困る・・・』
『広田としては、当面、粛軍を目的としている以上、突っぱねるわけに行かない。閣議にかけると、これといった反対論もなく、また西園寺公の意見も「どうせ陸軍大臣のいうことをきかなければならないのなら、なるべくあっさりきいてしまったほうがいいじゃないか」・・・広田は了承した。
 もっとも、広田はこの時、それまで、陸軍大臣候補者は、陸軍大臣参謀総長教育総監という陸軍三長官の一致して推薦した者に限るという内規があったのを外ずさせ、現役将官の中から総理が自由に選任できるということにさせ、寺内(陸軍大臣)に承諾させた。また必要なら、予備役の適任者を現役に復帰させる道のあることも認めさせた。・・・
<このことが、軍部暴走への追随として、後年の東京裁判で弾劾される材料になろうなどとは、(広田は)知る由もなかった。>』
 関心のない方には、面白くもない記述かも知れませんが、2.26事件の裏面が窺がわれて興味深い。
 吉田茂幣原喜重郎広田弘毅と3人の首相の人間性に関する記述も、なるほどとうなずける。
 「風車 風の吹くまで 昼寝かな」広田が自分の処世を語った句だそうです。