「私家版・ユダヤ文化論」

 「私家版・ユダヤ文化論」(内田 樹著、文春新書)なる本を読みました。
 正直言って、とても難解な本です。
 冒頭、著者は次のエピソードを紹介しています。
 【ジェイコブ・シフ(1847-1920)という人物がいた。シフはドイツ生まれのユダヤ系の銀行家で、アメリカに渡りクーン・ロープ商会グループの総帥としてアメリカ財界に君臨した人物である。・・・日露戦争のときに、日本政府が起債した8200万ポンドの戦時公債のうち3925万ポンドを引き受けた・・。
 シフは帝政ロシヤにおける「ポグロム(反ユダヤ的暴動)」に怒り、虐殺陵辱された「同胞」の報復のためロシヤ皇帝に軍事的な鉄槌が下ることを望んだのである。日本の戦費調達に協力すると同時に、シフはグループの影響力を行使して、ロシヤ政府発行の戦時公債の引き受けを欧米の銀行に拒絶させた。このユダヤ金融資本ネットワークの国際的な支援は日露戦争の帰趨に少なからぬ影響を及ぼした。
 シフはその後も生涯を挙げて「反ユダヤ」的な帝政ロシヤと戦い続けた(日露戦争後は、ロシヤ国内の革命運動を支援するためにケレンスキーに資金援助を行った)。だが、彼は生まれ故郷のドイツにも、市民であったアメリカにも、資金援助した日本にも、革命運動を支援したソヴィエト連邦にも、どのような近代国家に対しても「国民」としての帰属意識など抱いていなかった。
 たしかに彼はアメリカ財界の大立者であったけれど、「よきアメリカ市民」だったとは言えない。なぜなら外交は政府の専管事項であるにもかかわらず、シフは彼の「同胞」のために、「個人的な軍事同盟」を日本と締結し、ほとんど「個人的な戦争」をロシヤに対して仕掛けたからである。
 私はこのようなタイプの日本人を想像することができない。】
 ユダヤ人は自分が国籍を持つ国と異なる(独立する)価値観を持ち、その価値観を実現するために、自分の国は基より世界の国々に働きかける存在だと著者は言いたいようです。
 そもそもユダヤ人とは?を考えると、ユダヤ人とは「ユダヤ教徒」のことだと、今まで思っていたのですが、筆者はこう言う。
ユダヤ人と「ユダヤ教徒」が同義語であったのは、近代以前までのことである。・・・
キリスト教徒にとって、ユダヤ教徒キリスト教徒の中に存在し、それなりに社会的活動を果たしているということは社会のキリスト教化が未だ成就していないことを意味していた。しかし、さまざまな弾圧や恫喝にもかかわらず、ユダヤ教徒キリスト教徒に改宗させることはたいへんに困難な事業であった。】
 どんな社会でも、自分たちと異なる考え方で行動するグループの存在は警戒の対象になるでしょう。著者によると、ユダヤ人迫害の問題は、インドと中国では起きていない。
【過去2000年間、ユダヤ人集落はインドと中国においては、どのような特異な関心も惹き付けることなく、平穏な生活を送ってきた。】
 どうやら、ユダヤ人迫害はキリスト教国特有の問題らしい。この意味で、近代以前においては、ユダヤ人とはユダヤ教徒とみなして、ユダヤ人排斥の問題を考えることができる。
 しかし、近代以後、この問題の発生は宗教上の問題に限らなくなったので、必ずしも、ユダヤ人と「ユダヤ教徒」が同義語でなくなった著者はというのであろうか?(私には著者の含意は良く分からない)
 
【 1901年から始まるノーベル賞受賞者の統計を見ると、自然科学分野におけるユダヤ人の突出ぶりがわかる。2005年度までの医学生理学賞のユダヤ人受賞者数は48名(182名中)、物理学賞は44名(178名中)、化学賞は26名(147名中)、それぞれ26,25,18%に相当する。ユダヤ人は世界人口の0.2%を占めるに過ぎないのであるから、これはどう考えても、「異常な」数値である。】

 ユダヤ民族だけが、他の民族と異なり優秀な脳細胞を持つ、とは現代の生物学の知見から考えることは出来ません。
 ユダヤ人はどうしてこれほど知性的なのか?
 私は、国家や社会の規範をそのまま受け入れず、個人として規範・価値観を組み立てる彼らの習慣から来ていると思われます。
 人間は生れたときから「人間である」のではなく、ある社会的規範を受け容れることで「人間になる」という構造主義の立場から「ユダヤ論」を論ずると、この本の結論になるのでしょうか。

 最終的に著者はこう言う。
(近代以後)【ユダヤ人たちを統合している何者かがあり、それは近代市民社会の統治原則とは相容れないということを啓蒙思想家たちは正しく理解していた。】
 結局【ユダヤ人は「ユダヤを否定しようとするもの」に媒介されて存続し続けてきたということである。】