「分かる」ということ

山鳥 重(あつし)著『「わかる」とはどういうことか』(ちくま新書、02年4月刊)という本を読みました。
 筆者は神経内科が専門で、その中でも高次機能障害学という分野を主として研究している。
 脳梗塞脳出血などで不幸にして脳に損傷を生じてしまい、その結果、認知障害を来たした人たちの診断や治療やリハビリをするのだが、この人たちは、それまで普通にわかっていたことがわからなくなってしまう。
 脳障害者の治験から見た「わかる」と言うことについて述べたのが本書です。

 「記憶と知識の網の目をつくる」という章に、こんな記述がありました。
筑摩書房と読めても、意味がわからなければ、出版社なのか喫茶店なのか、ゲームの名前なのかわからないでしょう。
 つまりモノがわかるためには、大量の意味記憶が必要です。日本語をやりとりするには何千語もの単語の知識が必要です。日本語の読み書きにはさらに文字という大量の意味記憶が必要です。これらの大量の記憶を蓄えているからこそ、「筑摩書房」が読めるのです。】
【犬、猫、牛、馬、鳥、鳩しか動物を知らない、と考えてみてください。その場合はこの6種の動物がその人の知識の網の目になります。この人がもしキツネを見かけたらとしたら、犬みたいな動物と判断するでしょう。(中略)・・・知識は意味の網の目を作ります。網の目は逆に知識を支えます。】
 言葉を覚えることについて
【網の目を作るにはまず記憶が重要です。しっかりした記憶を作らないと、しっかりした網の目はできません。言葉の記憶の網の目がしっかりしているから言葉がわかるのです。 日本でいくら英語を勉強しても上達しないのに、アメリカやイギリスで1年も住めば結構上手になります。一日中英語の網の目で暮らしているため、いやでも自分の中に英語の網の目が立ち上がるのです。】
 この記述を読んだ時、勉強についての私の持論と「合ってるナ」と思いました。
「物理学を学ぶということは、物理学語を学ぶことであり、数学を学ぶことは、数学語を学ぶことだ。経済学を学ぶということは、経済学語を学ぶこと。」というのが私の持論です。
 それぞれの学問には、それぞれの知識のネットワークがあり、そのネットワークを作ることが、その学問を学習することで、外国語も、その外国語の知識のネットワークが出来上がらないと、マスターできない。

 そして、ネットワークを作り上げるのは、記憶です。
 記憶はどうして作られるのでしょうか。「体験」しかない。すると、人間は「体験」しないことは、「記憶」できない。つまり、知識(記憶)のネットワークが出来ない。ネットワークが出来ていないことについては、わからない。すなわち、人間は、どんなエライ人でも、体験しないことは理解できない?
 そんなことを考えさせられた本でした。