自伝の人間学

 保阪正康さんは近年昭和史の研究家として有名です。「なるほど自伝というものは、その時代の史料なんだな」と、保阪著「自伝の人間学」を手にした時思いました。ところが、「あとがき」まで読んできて一驚しました。
【本書は、月刊誌『新潮45』に、昭和61年7月号から62年6月号まで断続的に連載した「自伝の書き方教えます」をまとめたものである。・・』とある。昭和史研究の以前に、著者は自伝に深い関心を持っていたらしい。
 実際、「テロリストの自画像」、「女が書く女の怖さ」、「タレント自伝の素顔」、「タレント自伝の素顔」、「ノーベル賞受賞科学者の晩節」、「スポーツ選手の栄光と影」、「実業を書かない「実業の神様」」等々あらゆる分野の著名人の自伝を取り上げている。
 100編をはるかに越える自伝についてのコメントから一つだけ紹介しますと、
 芸能人の自伝の中で、筆者がもっとも激賞しているのは、山口百恵の自伝です。【彼女はアイドルであったとしても、それをもう一方で冷めてみている自分を意識している。芸能人の自伝や自分史のなかで、これほどクールでそして人間存在に重い意味を与えている著作はまったく見あたらない。】
 巻末の対談(原健史氏と)から
 ――自伝に書かれている内容が、他者も共有している記憶であれば、「それは違うぞ」といえる余地があります・・・ところが、他者が介在しない、史料がない、だから確認の仕様がないという場合は、「書いた者勝ち」になってしまいます。――
 「・・確かに軍人による戦争関係のものなどは、「長生きした者勝ち」が実際にかなりあります。先日、95歳で亡くなった元大本営参謀の瀬島竜三氏の著書などはその典型でしょう。」
 「2.26事件・・・青年将校たちが残した獄中日記、手記の類は、そのほとんどを読みました。彼らは刑死する前に、いわば自己総括するような文章を残していますが、これを突き詰めて読んでいくと、最後は「恨み」という感情がみられますね。」
――私も磯部の書いたものは読みましたが、あれは凄まじいですね。昭和天皇に対する忠誠心が反転して、憤怒の鬼と化しています。昭和天皇に対して、あれほど深い恨みの声を上げた人物というのは、左翼も含めていないと思います。なにしろ、「天皇陛下、何という御失政でありますか」「皇祖皇宗の御あやまりなさいませ」ですから・・
 最後に、いかにもありそうなエピソードを紹介します。
 長嶋茂雄選手には『燃えた、打った、走った』という自伝があるそうだ。
 【スポーツ記者から「あの本は面白かったですよ」といわれて、長嶋は、「そうですか。実は私はまだ読んでいないんです」と答えた。】