駄目になることがある

 もう一人、今年なくなった方の話題です。
 岩波新書で10年前に出た『書き下ろし歌謡曲』という阿久悠の本、もう一度読み直しました。
 以下は、こんな歌が載ってたんだな、と気付いた詩です。

 「セックスレス・男の言い分」

 男にとって 唯一の救いは
 女が性に無知であったこと
 道徳の厳しさが守られていたこと
 恥じらいが身について
 すぐに真赤になってくれたこと
 だから雄雄しく振舞えた
  これは 何も
  男が横暴なせいじゃない
  これで やっと 性に関しては
  男と女が台頭だということで
  つまり がんじがらめと
  勝手気侭の傍若無人
  勝負ができるってこと
  何しろ 男は
  駄目になることがある
  駄目になるかもしれないことに
  怯えつづけている宿命だから
 
 男にとって 何よりの恐怖は
 女が性の枷を取り払い
 窮屈な美徳とか 貞淑を捨て去り
 対等の条件で
 性の言葉を口に出したこと
 これで神話が崩された
  生きる権利
  男が邪魔をするわけじゃない。
  それはそれで いいと思うけど
  男と女の愛情には不都合で
  つまり知ってしまえば
  とても女に太刀打ちできない
  哀れなものだってこと
  何しろ 男は
  駄目になることがある
  駄目になるかもしれないことに
  怯えつづけている宿命だから

 僕の歌謡曲論というエッセイも載っていたが、その中に『情緒の定番の喪失』という章がありました。
 【情緒の定番というものは かつてありましたね。・・・イメージを共有するための装置として情緒の定番というものは、ありました。これは作り手と歌い手と聞き手の間のキイワードなので、多くを説明しなくても、「波がしぶいてカモメが飛べばそれは悲しいんだ」とかね。悲しいといわなくても悲しいということがわかるという談合ができていたわけで、歌謡曲のものすごい強みだったと思うんです。
 しかし、それもなくなりつつあるといっていい。・・・そうすると定番じゃないけれども、いわれてみれば納得するといったものをいくつ僕らが見つけ出せるかという勝負になってくるでしょうね。】
 定番の言葉を組み合わせて、定番以上の情緒を生み出すのが優れた歌詞。阿久さんは、時代の中に、新しい定番の言葉を見出すべく、刻苦精励を重ねた作家であったと思います。