走る大作家

 積雪13センチの10日 村上春樹の『走ることについて語るときに 僕の語ること』という本を、読み終りました。
 私は、「村上春樹」という作家の名前は知っていましたが、彼の小説は読んだことがありません。
まして、彼がマラソンのマニヤと言ってよいほどのジョガーで、ニューヨークマラソンボストンマラソンだけでなく、サロマ湖ウルトラマラソン(100km)を完走していることを、まったく知りませんでした。
毎年1回のフルマラソンに留まらず、村上(新潟県トライアスロンにも挑戦し、06年10月完走しているとは驚きです。
彼は、82年秋、思い立ってジョギングを始めたという。私がジョギングを始めたのは83年秋で、始めた時期に大差ないが、1936年生まれの小生と1949年生まれの村上さんでは、年齢の差は否定すべくもないようです。因みに、フルは村上さんは3時間半で走ったそうですが、小生のベストタイムは3時間55分(16年前)です。
本の前書きで、「Pain is inevitable. Suffering is optionable.」という言葉が紹介されている。「痛みは避けがたいが、苦しむのは(自分の)選択だ」という意味でしょうか。
 趣味のない方から見ると、マラソンみたいな苦しいことを、何故やるのか?と、思われるでしょう。
 この本の最初に、こんなくだりがあります。
瀬古利彦さんに一度インタビューをしたことがある。現役を退いてS&Bチームの監督に就任した少し後のことだ。そのときに僕は「瀬古さんくらいのレベルのランナーでも、今日はなんか走りたくないな、いやだなあ、家でこのまま寝てたいなあ、と思うことってあるんですか?」と質問してみた。瀬古さんは文字通り目をむいた。そして<なんちゅう馬鹿な質問をするんだ>という声で「当たり前じゃないですか。しょっちゅうですよ!」と言った。】
 瀬古さんは、走ることが仕事でした。どんな好きなことでも、仕事とすると苦痛になるという側面はあるでしょうが、確かに、私のように道楽で走っていても、走りたくない日はあります。
 「にもかかわらず、何故走りつづけるか?」について、私の代わりに大作家が書いてくれたのが、この本でした。
 【専業小説家になったばかりの僕がまず直面した深刻な問題は、体調の維持だった。もともと放っておくと肉がついてくる体質である。
朝から晩まで机に向かって原稿を書く生活に送るようになると、体力もだんだん落ちてくるし、体重が増えてくる。神経を集中するから、つい煙草も吸いすぎてしまう。】
 会社勤めにストレスはつきものです。
【好きな時間に自宅で一人で仕事できるから、満員電車に揺られて朝夕の通勤もする必要がないし、退屈な会議に出る必要もない。・・・
それに比べたら、近所を一時間走るぐらいなんでもないことじゃないか。】
 私も同感ですが、人間という種は、(発生以来)何百万年もの間、野山を駆け回る生活をしてきた。人間の身体は、本来、机に向かって一日仕事(そんな生活をするようになったのは、せいぜいこの100年)をするように、出来ている筈がない。
 これが、一言で言って、私が走ったり泳いたりしている理由ですが、村上さんの言っていることも同じと思います。

 それから村上さんは、トライアスロンのトレーニング、水泳の練習でこう述べています。
「世の中にうまく泳げる人は数多くいるが、泳ぎ方を要領よく教授できる人はあまりいない」
【彼女(コーチ)は僕の泳ぎ振りをひととおり見て、それから泳ぎの目的を尋ねた。「トライアスロンに出たいんです」と僕は言った。「じゃあ海でクロールで、長距離の泳ぎができればいいんですね?」・・「そうです。短距離のスピードはいりません」と僕は言った。「わかりました。目的がはっきりしている方がやりやすいです」
 彼女は強引にフォームの全面的改造を行うのではなく、身体の細かい動かし方を、ひとつひとつ時間をかけて補正していった。・・・】
 「上手に泳げる人は多いが、上手に教える人は少ない」。水泳に限りません。まったく、これも同感でした。