ゆらぐ脳

 池谷裕二、木村俊介著『ゆらぐ脳』(文芸春秋社、08年8月刊)を読んでいます。

 池谷さんは以前紹介しました『海馬』、『進化しすぎた脳』、『記憶力を強くする』の著者、最前線の脳科学者。木村さんは、ジャーナリストで週刊文春に『仕事のはなし』を連載中。この本は、池谷さんの語りを木村さんが編集したというかたちです。

 今、脳科学者と述べましたが、「脳科学」という言葉は、和製造語で、海外にはブレインサイエンスという言葉はない(ブレインリサーチまたはニューロサイエンスという)そうです。脳科学という言葉は、橋本内閣のころ、「日本オリジジナルの脳研究を」と起案されたものだそうです。

 読みつつある段階ですが、面白いなと感じた点を、以下に述べてみます。

【脳を記録する装置の開発】
 MRIは脳全体を眺めるには便利です。しかし、「時間の分解能力」「空間の分解能力」で欠点があります。情報が脳にとどいて、脳が活動を始めてからMRIの画像になるのは数秒後です。また、世界最高性能のMRIでさえ、約1立方ミリメートルの解像度しかない。1立方ミリメートルの中には、脳の神経細胞は、数万から10万個もひしめいている。そこで、「多ニューロンカルシューム法」という「1立方ミリメートルの範囲の数千の細胞の活動を同時に撮影できる」方法・高速イメージング法を07年4月開発しました。

 「1秒で2000枚」の撮影が出来るようになりました。世界各地の研究室の撮影スピードは、現在も「最速で1秒50枚」程度です。

(注:脳の個々の神経細胞の活動(放電)を撮影できるようにした)

【発見が押し寄せてきた】

 「発見」が押し寄せてきました。これまで「発見」というものは、あれこれ試行錯誤してたどりつくという印象が強かったのですけれども、「世界最初の撮影範囲」を「世界最速の撮影速度」で捉えると、当然、世界最初の発見が生まれる。ガリレオが望遠鏡を発明したとき、必然的に月のクレーターや土星の輪などを発見したようなもの。

 (これって凄いことですね。千円札の野口英世博士が努力をしたにも関わらず黄熱病の原因を解明できなかったのは、当時の顕微鏡の解像度では、ウィルスを見ることが不可能だったため。つまり、研究の前に道具の開発が重要というのが池谷さんの基本戦略。)

【発見の一例(脳の状態から運動を予測する実験)】

「目の前のランプが点灯したらできるだけ早めにボタンを押してください」
という実験で「ボタンを押す力の強弱」と「脳のゆらぎ」に相関関係があるという。

「いま、ランプをつければ被験者は強めに押しますよ」

と、脳の状態を見て予言をすると、まさにその通りになる。脳の方から強弱を予測できてしまうという実験です。

【データは世界に公開する】
 更に、池谷さんは、自分のホームページで、脳の神経細胞の最新のデータを公開して「皆さん、これを解析して、いろいろと発見してくださいという。世界中の脳研究者に、解析を呼びかけています。「これからの科学ではこうした方法が求められる」と語る。

【脳の可塑性と自分で自分を書き換える神経細胞
 脳の神経細胞には「可塑性」(変形させたらもどらない性質)があり、自分の活動を参照しながら、どんどん自分を書き替えてゆく・・・これを私は生命の本質だと捉えています。

 私は、今、「脳の神経細胞の活動の予測」をしています。

 なぜ、そのようなことをしているのか・・・天気予報も株価予測もそうですけれど「予測は対象のメカニズムに迫る手段だから」予測が正確にできれば、対象を相当レベルまで知ったことになるわけです。

「予測ができてきた」は、「予測のための過去の参照方法が正しかった」ということです。

この予測のためのアルゴリズムの組み合わせ方を、以前に経済学の専門家に説明したら、「面白い。なぜ、そんな奇抜な方法を思いついたのですか?これを利用して株式予想をしたらもうかるかもしれませんね」

 予測の計算が成立しはじめて分かったのは、神経細胞の活動は「直前のおよそ1分間以内」を参照した時に最大の予測正答率になることです。

 過去の数時間や数日間の行動まで均等に参照したら「直前の5秒だけ」の参照の計算よりも精度が低くなる。

 計算をしたら30秒から40秒位までの過去を参照した時が、いちばん活動を予測できるようだという結果が出ました。

 補足をすれば、この「30秒から40秒ほど」の時間は人間の心に重要な「ワーキングメモリー(短期記憶)」の保持時間に近いものです。

【なぜ進化の過程で「記憶」が生まれた?(脳の可塑性が過去の記憶を可能にした?)】
 なぜ進化の過程で「記憶」が生まれたのか理由を想像してみれば、未来予測のため以外には目的は考えられません。

 海馬がなくなれば過去の記憶が失われるだけでなくて未来を具体的に想像できなくなる。

【脳とコンピュータの差】
 コンピュータに「自分」がないのは、自分を自発的に書き替えないからでしょう。

 通常のコンピュータのシミュレーシヨンは生命現象とは異なるものです。
 単純なシミュレーシヨンでは、たいてい、「活動がなくなる」か「すべて活動する」のどちらかに安定して、それ以上変化しなくなります。・・・

 しかし、生命のネットワークは、そうすぐには「終わり」ません。

 だからこそ、「自分で自分を書き換える」の定常的な連続には、生命が感じられるのです。

「活動がなくなる」は、生命には「死」を意味しています。
「すべて活動する」は、脳の神経現象では「てんかん」の瞬間の状況に似ています。

研究するほど実感するのは、「意識は、膨大な無意識の一部でしかない」ということです。