ゆらぐ脳(2)
【池谷博士が研究を語るのが面白い】
実験科学は「相関関係」を発見するのであり、「因果関係」を証明するものではない。
仮説を立てる訓練は、サイエンテイストに欠かすことはできません。
仮説を立て、戦略を立て、定めたゴールに到達するようにプロセスを作り上げてゆく方法は、サイエンテイストは身につけなければなりませんけれど、オリジナルの研究を展開するうえでは、
「今の時代の今の技術の範囲内で、使用できる道具や方法を駆使したら、何を試すことができるのだろう?」
という視点が大切なのではないですか。
【仮説を立てない】
私のスタンスは、
「脳は分からないことばかりだから、もしかしたらコレを試したら分かるようになるのかもしれないという挑戦を続けましょう」というものです。
つまり、仮説を作らない方法をとります。
実際に現場で手を動かして実験をしているとよく分かるのですが、仮説が否定されなかったときは、うっかり「仮説の確からしさが増した」と勘違いしがちです。そんな錯覚に陥ったときこそ危険です。なぜなら、反例が見つからなかったということは、「反証に失敗した」にすぎないわけです。繰り返し強調しますが、科学の論法には、厳密には、「仮説の反証」しかありません。この点は誤解してはいけません。実験科学の仮説は、いかなる素晴らしい学説であっても、その「正しさ」は証明できません。私たちは、仮説を否定することによってのみ、真実に近づきうるのです。
【サイエンスの反証可能性】
サイエンスの歴史的な進歩は、天動説や地動説を眺めてみても分かるように、「新規の仮説の証明」を進めるよりも「従来の仮説の反証」で促されてきました。
(反証可能性というものが、サイエンスのサイエンスたる所以ですが、長くなりますので、別の機会に。)
【「合理主義は非効率的」】
「合理主義は非効率的」と気づきました。
目的以外を捨ててしまう「合理主義」は、突き詰めたら「自分の分野の知見」と「異なる分野の知見」の間の「つながり」や「派生」に気づかなくなる袋小路にほかなりません。「派生」に気づかないというのは「発見」がなくなることこと・・・
【論文には物語が必要】
論文に物語りは必要です。「物語そのもの」にサイエンスの根拠はありませんけれど、物語の出来次第で論文のインパクトは影響を受ける・・・つまり、「伝える」のプロセスが、研究をいかに左右するかということです。