司馬遼太郎と三つの戦争

司馬遼太郎と三つの戦争」(青木彰著、04年3月刊、朝日選書)という本を読みました。先日,別の本を探しに高島屋三省堂に行ったとき目にとまり、「これは面白そうだ」と衝動買いしたのです。

筆者の青木さんは、産経新聞で司馬さんの一年後輩で、生涯の友人という立場から、『司馬さんの屈折というのか、心の揺れを考えた場合、大きく分けて、三つの時期になるのではないか』と述べています。

1. 少年期

【司馬さんは学校というものに、あまりフィットしなかったようですね。・・・今で言えば「落ちこぼれ」だったんでしょう。

あれほどの頭脳の持ち主には会ったことがないのに、どうして学校の勉強ぐらい こなすことができなかったのか。

私は陸軍が嫌いになったのと、理由は同じだった気がします。学校というところに司馬少年は魅力を感じなかった。本来普遍性を教えるべき学校に、あまり普遍性を感じなかったのではないか。】

「普遍性」という言葉の解説が必要でしょう。私の理解では、明治以後の日本が近代国家として成り立つため、兵隊と官吏が必要だった。つまり兵士あるいは官僚になれる人材を育てるのが、教育の目的だった。しかし、司馬さんは、兵士にも官僚にも特化しない、普遍的な人を対象とする教育が欲しかった。

2. 戦争体験期

 書名の「三つの戦争」とは、戊辰戦争日露戦争、太平洋戦争です。司馬さんは、彼の小説また評論において、三つの戦争をどう論じているか、述べたのがこの本です。

司馬さんの思索の跡を見てみます。

日本民族はあれほど愚劣な戦争に踏み込むほどおろかな民族なのか?】ここから、三つの戦争を振り返る。

 『日露戦争は祖国防衛戦争でした。・・・べつに政府が宣伝したわけでもなくて、国民が結束した。』

 国民は、はじめて手にした近代国家に無限の夢を抱いた(そこに明治の明るさがあった)。

 『立身出世という言葉は、もう死語になっていますね。しかし、国民になったばかりの明治の、とりわけ若い人々は、自分の人生に大きな可能性を感じたのではないでしょうか。いろいろ制約はあったものの、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなり得た。社会のどういう階層であっても・・・立身出世は夢ではなくなった。

 もちろん、だれもがなれるはずもありません。

しかし可能性を、前の時代に比べれば無限に感じさせた。』

『われわれ日本人がまじめだったのは明治38年の日露戦争まででした。』

 戦争終了後、5年して韓国を併合します。帝国主義の道を歩む。しかし、

『当時の日本は朝鮮を奪ったところで、この段階の日本の産業界に過剰な商品など存在しなかいのである。朝鮮に対して売ったのはタオルとか、日本酒とか、その他の日用雑貨品がおもなものであった。タオルやマッチを売るがために他国を侵略する帝国主義がどこにあるだろう。』(「“雑貨屋”の手国主義」)(続く)