後期高齢者医療制度

お正月に「後期高齢者医療制度」(伊藤周平著、平凡社新書、08年10月刊)を読みました。筆者は鹿児島大学法科大学院教授。序章で述べているが、「後期高齢者医療制度は廃止し、野党の廃止法案のように、いったん元の老人保険制度に戻したうえで、高齢者医療のあり方について再度議論をやりなおすべきだという」立場から論じている。

 もっとも私の目を惹いたのは次の記述です。

 【介護保険法は2,000年4月から施行された。 

厚生労働省にとって、介護保険の成功は日露戦争の勝利であり、その成功体験をもって突入した高齢者医療制度改革は太平洋戦争だった、と指摘している。(阪大教授堤修三氏・元社会保険庁長官)】

 この法律の成立の経緯についてみてみると

 【介護保険制度については、1995年から実施されているドイツの介護保険制度を参考にしながら、当時の橋本内閣のもとで検討が進められ、老人保健福祉審議会の「最終報告」などを受けて、厚生省を中心に法案がまとめられた。96年11月29日第139回臨時国会に提出された。二度の継続審議を経て、1997年12月に介護保険法が成立した。介護保険導入の目的は何であったか?

 介護保険法の成立が、当時の財政構造改革法の成立(97年11月)と連動していた・・・介護保険制度の導入が、政策的には、高齢者福祉分野における公費負担の軽減(全額税金で賄っていたものを半分保険料で賄うこととなり、公費負担は大きく削減された。)・・】

 つまり、介護保険法以前は、高齢者福祉の負担は、健康保険がみていた。“今日はオジイチャン病院に来ていないね。““今日は風邪を引いたんだよ”。社会的入院、高齢者の病院通いを風刺したこんな小話があった。その、高齢者の医療費負担を介護保険に振り替え出来た。しかも、従来の医療保険(当時の老人保健制度では、保険料負担は組合の拠出金と公費で負担)と違い、介護保険は、50%を保険者が自己負担してくれるのだ。

 だから、厚生省にとって、介護保険の導入は、日本海海戦の勝利だったという。

 この勝利に味を占め、医療費の公費負担の軽減を図ったのが、後期高齢者医療制度というわけ。ところが、これが大失敗だった。今年秋までには、衆院選挙が行われるが、自民党にとって、命取りになる制度であろう。

 転向した中谷先生がこう言っている。

【日本は伝統的に欧米のような階級社会でなく、平等主義社会であった。長期的な信頼関係とか社会の温かさ、企業で言えば、一体感が強み。その伝統、価値観は大切にすべきだ。】

 昨年4月、後期高齢者医療度制度発足について、区役所の案内を見た瞬間、「これはおかしい」と私は思いました。夫婦の間で、夫と妻を別の保険制度にするというのです。日本社会の伝統的価値観を、たかが経済のため破棄するような仕組みは、どう考えてもおかしいと思ったのです。

 こんな制度を考えた官僚は、まさに太平洋戦争時の軍官僚と同じだった・・・。