偽装建築と金融派生商品

『自然な建築』(隈研吾著、岩波新書、08年11月刊)を読みました。以下、感想です。著者は、1954年生まれ、株式会社隈研吾建築都市設計事務所代表(主宰)。慶応大学理工学部システムデザイン工学科教授。

冒頭、著者はこう述べています。

『「20世紀とは、どんな時代でしたか」とたずねられたら、みなさんは何と答えられるだろうか。僕は躊躇なく「コンクリートの時代でした」と答える。』

『20世紀のテーマはインターナショナリズムであり、グローバリゼーシヨンであった。ひとつの技術で世界を覆いつくし、世界をひとつにすることがこの時代のテーマであった。

 まずコンクリートは場所を選ばない。木の薄い板を組み立てて型枠を作る程度の技術は世界中どこにでもあったし、コンクリートの構成材料である砂、砂利、セメント、鉄筋はどこでも入手可能であった。』

(コンクリートには)圧倒的な普遍性があり、・・・普遍的であるとは、場所を選ばないということであり・・・

 『しかし、場所を選ばないということは、逆に言えば、あらゆる場所をコンクリートというひとつの技術、その技術の裏にひそむ単一の哲学によって、同一化してしまうということである。

 そして場所とは自然の別名に他ならない。多様な場所、多様な自然が、コンクリートという単一の技術の力で、破壊されてしまうのである。』

 そして、コンクリートの不可視性についてこう述べている。

 『さらに悪いことに、この「強い」はずのコンクリートは、実のところ、きわめてもろい。強いはずのコンクリートは、・・・数十年後には、最も処理のしにくい、頑強な産業廃棄物と化す。その劣化の度合いが表面からは見えにくい・・・・コンクリートの不気味さは、その中身が見えないことである。』

『コンクリート建築で、必要な鉄筋を入れない偽装が行われたとしても、少しも不思議ではない。偽装とはコンクリートの不透明な本質の帰結である。』

 姉歯某による建築偽装は、20世紀の建築技術の本質的帰結であったのだろうか。

 ここまで読んで、グローバル経済とサブプライム金融問題を思いました。

世界中を同じシステムで覆い尽くそうというグローバル経済の思想、中身が全く不透明な金融派生商品が世界中に氾濫して、ひとつのサブプライムショックが、世界中の金融システムを強度不足で崩壊させつつある。あれは、20世紀思想の帰結でしょうか。

 この本で、隈さんは、石、竹、土、和紙など、コンクリート以外の建物の試みを述べていました。