「郵政改革とは何であったか?」

『失われた<20年>』(朝日新聞「変転経済」取材班編、岩波書店09年2月刊行)を見ていたら、面白い解説が出ていました。

【97年11月22日午前1時過ぎ、橋本竜太郎(首相)は厚生相の小泉純一郎に電話でこう伝えた。

「小泉さん、あなたが主張してきた財投改革、預託の廃止、郵便への民間参入も決めた。公社化もする。これは将来の民営化の一里塚だ。

橋本が「民営化の一里塚」といったのはなぜか。

財投の預託を廃止すれば、公社をいずれ見直さざるを得なくなる、と考えていたからだ。】

【財投改革、特に預託の廃止は、橋本改革とは別の流れで出てきた。動いたのは、財投を管理する大蔵省自身だった。】

財投は、・・・資金の「入り口」はは郵貯や年金積立金。それを大蔵省理財局が管理する資金運用部に全額預託させ、そこから「出口」の特殊法人などに事業資金として貸し出す。・・

資金運用部から特殊法人などへの融資は超長期の固定金利が基本で、郵貯などが資金運用部に預託する期間より長い。預託金利のほうは、その時々の長期国債金利に連動する(国債金利+0.2%)。

金利が上昇して預託金利が上がれば収支が圧迫される。大蔵省は危機感を抱いていた。

そこで浮上したのが預託の廃止だ。】

一方、郵貯を扱う郵政省は、・・・・

【「100年の悲願」である郵貯自主運用への期待感があふれていた。

そんな「郵政一家」は、政治、経済の両面で誤算に直面する。

政治面では小泉政権の誕生だ。経済面では「自主運用の難しさ」だ。

郵政の収益の大半を稼ぐ郵貯は、資金運用部への預託で長期国債の利回りに0.2%幅上乗せした金利を保証され、職員の人件費など経費を賄っていた。

いざ自主運用が実現するとノウハウが乏しく、安全な国債を買わざるを得ない。十分な利ざやが稼げず、経営がジリ貧になるのは明らかだった。】

要するに、大蔵省は国債より利息の高い預託金利を払いたくなかった。財投債に切り替えれば、上乗せ金利を払わずに済む。そこで、預託を廃止したのだが、「これで自分たちで郵貯を運用して稼げる」と思った郵政官僚は甘かった。折からの低金利で、従来の預託金利以上には稼げなくなっていたのだ。

【「郵政選挙」で圧勝したことで結果的に民営化が実現したが、すでに預託廃止の時点で従来のようなやり方はもたなくなっていた。かといって民営化がどの程度、利用者の利便を向上させ、またビジネスモデルとして成り立ちそうなのかは見えない。はっきりしているのは、「官」ではできなかったリストラが「民」として始っているということだけだ。民営化後1年で、数千人の特定郵便局長が希望退職し、郵便配達業務が廃止された特定局も出てきた。】・・・と言うわけだそうです。

民営化のいきさつはわかりましたが、何故、かんぽ、ゆうちょ銀行など4分化したのでしょうか?この本には書かれていません。以下、小生の下司のかんぐり?

海外の投資家に郵政の株を売るためには、彼らには関心のない郵便業務は切り離す必要があった。しかし、幸か不幸か、サブプライムローンショックで、米国の投資銀行は消滅!郵貯もかんぽも、当面、身売りの悲劇はなさそうです。