良い経済学悪い経済学

「良い経済学悪い経済学」(日経新聞、97年刊)という本を読みました。
著者はポール・クルーグマン、昨年のノーベル経済学賞の受賞者です。彼の著書に「為替レートの謎を解く」という本があると聞き、愛知県図書館に探しに行きましたが、生憎誰かが読んでいるらしく書棚になく、近くにこの本を見つけて、面白そうだと借りてきたのです。
著者が、この本で主張したいポイントは、『国の経済は、企業とは似ても似つかないものだ』。
国の競争力を判断するのは、企業の競争力を判断するのと違う。企業であれば、決算書の当期損益の項を見ればよい。国では・・・企業の当期損益にあたる数値が出されるわけではない。貿易収支だという見方もあるが、貿易黒字がその国の弱さを示すこともあるし、貿易赤字が強さを示す場合もある。更に競争について言うと・・
国民経済では、生産者は同時に消費者でもある。外国との競争によって価格が引き下げられれば、賃金は下がるかもしれないが、同時に、賃金の購買力は上昇する。

貿易とは競争ではなく、相互に利益をもたらす交換である。輸出ではなく、輸入が貿易の目的である。国が貿易によって得るのは、求めるものを輸入する能力である。
生産性の高さが重要なのは、それによって他国との競争に勝てるようになるからではなく、国内の生産を増やし、消費を増やせるようにするからだ。
総ての国の生産が年に1%伸びる世界を創造する。このとき、アメリカの生活水準は、年に1%成長する。次にアメリカの生産性伸び率は1%だが、海外諸国では3%になっている世界を想定する。この場合、アメリカの生活水準はどうか?正しい答えは年率1%で向上する。
競争は主に国内の産業間のものであり、どの産業が資本、技術、そして労働といった希少な資源を獲得するかをめぐるもの。政府がある産業を支援すれば、その産業が外国の産業との競争を有利に進められるようなるとしても、国内の他の産業から、資源を奪う結果にもなる。

要するに、国のマネージメントと企業のマネージメントは違うのだ。
この話から思いついたことがある。
財政赤字の問題。「骨太の方針」で、「2011年までのプライマリイ・バランスの回復は2020年まで先延ばしするという。
国と企業・家計の会計とは異なると思うのです。国という場合、政府の他に企業も家計も帳簿を持っている。企業に複数の帳簿があれば二重帳簿で違法ですが、国には複数の帳簿が存在するのです。だから、政府の帳簿が黒字になっても、その黒字化した分、企業と家計が赤字になったら、国としては改善にならない。財政赤字の改善が、景気の改善が行われた時のみ成功したという過去の経験は、ここに起因すると思います。