「自己組織化の経済学」

「自己組織化の経済学」(ポール・クルーグマン著、東洋経済新報97年8月刊行)を読みました。
複雑系の科学が、経済学にどのように応用できるか?筆者は「創発」という概念に着目する。市場の「見えざる手」によってだれも意図しなかった帰結に導く様子をアダム・スミスが書いたときに、彼は実は創発について語っていたのだと述べる。(スミスの「見えざる手」には予定調和的な前提があるが、「創発」には予想外な状況が生まれることを前提にしている。)
本書で著者は、都市形成における「創発」現象を、数学的モデルで、説明を試みているが、私が読後、特に感じた点は(訳者もあとがきで触れているが)、

一つは、自己組織化自体には価値判断は含まれておらず、また自己組織化することが望ましいとはかぎらない。
ビデオ・システムとしてVHSがベータを抑えた例や、タイプライターの文字配列がQWERTYに定着している例などは、技術的には必ずしも最善でないものが、自己組織化の結果として残ることを示している。
経済学における自己組織化現象は、アダム・スミスの「見えざる手」として捕らえられることがあるが、市場メカニズムの結果、生み出された所得分配は著しく不平等になることがある。この不平等が倫理上不適切であるかどうかといった価値判断については、市場メカニズムは何ら語るところがない。

次に、
製造業で収穫逓増が働くとすれば、長期的には各産業で独占企業だけが残ることになるが、現実にはそうなっていないのは何故だろうか?(マーシャルの問題)
独占的産業レベルでのライフサイクルに応じて、ある段階までは収穫逓増でその後逓減するという時系列的現象もあるだろうし、収穫逓増と収穫逓減が同じに働くという側面もあるかもしれない。とすれば、複雑系経済学の中にマーシャル問題を解く鍵があるのかもしれない。
私には、「マーシャル問題」を複雑系経済学で論ずるためには、時間の概念を十分に取り入れることが必要だと思われる。

最後に、著者の理論の形成は、頭の中での「自己組織化現象」ではないか、という所感には、まったく同感であった。
あいまいで漠然とした直感からスタートし、厳密なモデルを作りながらその直感を具体化していく。モデルの初期状態は、やたらと複雑で混乱している。そして、モデルによって直感が修正され修正された直感はモデルを簡単化する方法を提示する、といった具合に、頭の中で一種の自己組織化がはじまる。