投機の円安 実需の円高

修士論文のテーマに関連する文献を探していて、「投機の円安 実需の円高」(リチャード・クー著、東洋経済新報96年1月刊)を見つけました。
96年の刊行ですから、アジヤ通貨危機も9.11テロも、100年に一度の大不況も書かれていません。しかし、為替相場の形成について、今日もそうだろうと思わせる説得力ある説明が展開されている本でした。1ドル80円を切った95年の、超円高を挟んだ時期の記述が中心です。

政府高官の口先介入というのがあります。例えば「我々は円高を望む」と、米国財務長官が発言したというニュースから、円相場が高騰したケース。高官の発言で経済のファンダメンタルズがいささかでも変化するわけでない。何故、相場が動いたのか?相場に参加している人は、「米政府は円高のための手を打つだろう、と他のデイラーが考えるだろう。先回りして買うべきだ。」と、判断するためだ、という説があります。
クーさんはこう説明します。政府高官が発言しても、まったく相場が動かないケースもかなり多い。しかし、そうした場合、マスコミはほとんど報道しない。報道するのは相場が動いたときだけ。そこで、政府高官が発言すれば必ず相場が動くと読者は錯覚する。確かに、政府高官の発言から相場が一気に動くことがあるが、それは、相場が動くべき要因が堆積しているとき。つまり、火の気が充満しているときに、マッチをすったようなケースなのである。
更に、こういう説明もしています。
『かつてジョージ・ソロスがその他のヘッジ・ファンドを率いて、英国通貨ポンドを攻撃したことがある。そしてこれは成功した。当時のイギリス中央銀行は自国通貨であるポンドを、対マルクで高いところで維持しようとした。ポンドを売るわけにいかない。外貨であるマルクやドルを売ってポンドを買わないと、ポンドを高く維持できない。しかし、売れる手持ちのマルクや他の中央銀行から借りて売れるドルには限界がある。
ソロスたちは自分たちの資金量とイギリス中央銀行が動員できる資金量を比べて勝算ありと考えた。そしてポンド売り崩しに成功した。
このため皮肉にも、イギリスは無理な為替レートの呪縛から開放され、金利も自由に下げることが出来た。その結果、イギリス経済はヨーロッパで一番最初に景気を回復させることに成功した。
日本円の超円高の場合はどうであったか?状況はまったく逆で、日銀は高くなろうとしている円を安くしておきたい。その場合、売るのは自国通貨である円だから、これは日銀は永久に売れる。この日銀を敵に回すのはどんなものか。投機家にとってこの見極めが戦術的なポイントになる。
そして、当時、投機家たちは、1ドル=100円などというレートで日本経済がもつはずがない。日本政府は必ず円高対策を発表するだろう。だから円安に賭けていれば儲かるという見方をしていた。
実際には、100円を割り込む円高になり、94年6月、7月に巨額な損失を出してしまった。』
中央銀行の為替介入によって円高を食い止めようとする行為は、日米両国の納税者が日本の輸出業者に補助金を出しているようなものだ・・。そうなると、輸出業者側は介入があるたびに、溜め込んでいたドルを今だとばかりどんどん売る。中央銀行はこれを為替介入をして買い込むのだがどんなに介入しても向こうはごっつあんでした、・・・為替レートは動かない。こういう事態が94年6月に発生していた。95年春もそれに似た状態。つまり背後に、投機ではなく実需のドル売り・円買いがあった。
『かくて、米国政府は貿易問題と言うミクロの問題に為替相場というマクロの政策で対応するのでなく、スーパー301条を背景に、市場開放を日本に迫るというミクロの政策対応を打ち出した。』と著者は述べる。