投機の円安 実需の円高 2

今日、貿易で必要とされる通貨量の100倍にも及ぶ通貨取引があるという。それでも、為替レートを決めるのは、通貨の実需であって、通貨の投機ではないといえるのか?『一日の為替取引が1兆ドルもあるときに、その5%しかない実需で、全体説明しようとするのは所詮無理であり、残りの95%を支配する投機資金が最終的に為替レートを決めている』という見方がある。しかし、
『為替市場では、銀行の為替デイーラーが中心になって日々の為替取引を行っている。通常、銀行の為替デイーラーが、一日にとれるポジシヨン(持ち高)は低い水準なので、顧客からドルを買い取った後、ドル買いポジシヨンを越えると判断すれば他の銀行に直ぐ売却する。他の銀行も同じ操作をするので、為替取引高は、実需取引高の数倍の規模に広がる。だが結局、(取引高が最終需要の何倍あろうと)為替を決めているのは最終需要家なのだ』と著者は言う。
しかし、こういうケースもこの本には紹介されている。
『1994年、10兆円もの円安投機があった。欧米の円建て債券(ユーロ円債)ブームです。円債を発行することで、多額の円を入手し、その円をドルに変えて(円売りドル買い)運用した。彼らは、当時の1ドル100円というレートは続かない、いずれ、例えば120円に下落すると踏んだのです。5年後、円債が償還の時に予想通りに120円になっていたら、調達した1ドルは83セントぐらいの返却で済む。おまけに日本の利子はべらぼうに安い。95年になって、1ドル120円になると思っていたのが逆に円高になった。円債のスワップを買っていたファンドは、損切りに出た(円買いドル売り)。円は一気に79円まで上昇した。』
つまり、最終的には実需がきめるにしても、そこに「実需の予想」が入ることで、必ずしも実需が決めると言い切れない。
博打と相場の違いは、相場の背後には実需があるのだが、博打の背後に、実需はないということだろう。
もう一つ、著者は重大な問題を指摘している。
日本の貿易黒字は、日本が対外投資をやることで海外に還流する。対外投資をやると言うことは、外国人にカネを貸す行為である。
しかも外国人に貸したカネの原資は、日本国民の年金や生命保険の掛け金であり、貯金そのものである。このカネはいずれ返してもらわねばならない。
外国人がそのカネを返す方法はたった一つしかない。それは、日本にものを輸出し、円を稼いで、その稼いだカネを為替市場で売ってもらうことである。
即ち、外国人に日本へ輸出できるようにすることが必要だ。
国際貿易については、比較生産費説という有名なリカードの理論がある。
『イギリスでリネン一単位を生産するのに労働者100人、ワイン一単位を生産するのに労働者120人を必要とする。これに対して、ポルトガルでは、リネンには90人、ワインには80人の労働者を必要とするとしよう。このとき、イギリスは、リネンを輸出して、ポルトガルからワインを輸入する。ポルトガルでのリネンの生産費はイギリスより安いが、それでもポルトガルはワインを輸出して、イギリスのリネンを輸入した方が有利になる。』というのだ。(宇沢「経済学の考え方」より)
もし、ポルトガルが、ワインもリネンもイギリスより安く出来るから、イギリスから買わないと言ったら国際貿易は成立たない。それは、イギリス人にもポルトガル人にも不幸なことだ。
実情、日本の対外投資は円を安定させるには不十分なのである。そこに登場するのが、日本の通貨当局による為替介入だ。日本のマスコミは、銀行の不良債権問題で公的資金を使う問題ではあれだけ騒ぎながら、(日本の輸出業者に対する補助金である)為替介入には、月間1兆円規模で公的資金が使われているにも拘らず、誰も何も言わない。しかし、公表されているだけで日本政府の外貨準備に発生している為替差損は9兆円にも上るのである。