『単純な脳、複雑な心』

「みなさん、はじめまして。池谷裕二と申します。私はこの高校を平成元年に卒業しています。・・・」という言葉から、この本は始まります。
著者の母校の静岡県藤枝東高校で、後輩たちに「脳科学」を語るという仕掛けです。
それにしても、平成元年に高校を卒業した若者が、いまや第一線の脳科学者になっているというのは私には驚きですが、筆者はここで、聞いている生徒が平成元年に、まだ誰も生まれていないことに驚いています。
それは余談ですが、各紙の書評が激賞していた本だけある、と思いました。

朝日出版のWEB・ページに、この本の紹介がありました。
http://www.asahipress.com/brain/
有名人や新聞各紙の書評が載っていますが、それは別として、実験の動画があります。
「ピンク色の反転が消える」という実験を見ますと。
ピンク色の斑点が回転していて、中央にある+印を見つめていると、ピンク色の斑点が消えて緑色の斑点一つが回り続ける。
筆者の解説。「ピンクの斑点が見えているということは、脳の中に、ピンク色に反応するニューロンがあって、活動しているということ。緑色が見えるということは、脳の中の緑色に反応するニューロンが活動を開始したということ。実際にはない緑色が、脳のニューロンが活動すると、あるのです。更に見ていると、ピンク色が消えてしまう。ピンクに反応するニューロンが活動をやめたのです。
つまり、外界にピンク色が存在するかどうか、あるいは、ピンク色が光波として網膜に届いているかどうかは、あまり重要ではなく、脳の中のピンク色担当ニューロンが活動するかどうかが、「存在」を決めている。」

さて、脳科学に有名な実験があるそうです。
被験者に椅子に坐ってもらって、テーブルに手を置く。目の前の時計を見ながら、好きな時に手を動かす。そして脳の活動を測る。「手を動かそう」と意図する脳活動、「あっ動いた」と知覚する脳活動、手を動かす準備をする時の脳活動、「手を動かせ」と指令する脳活動を計測する。
さて、「動かそう」(意図)、「動いた」(知覚)、準備、指令の4つの脳活動は、どの順番に発生するか?
常識的に考えると、準備→意図→指令→知覚
または、意図→準備→指令→知覚
ところが実際に計測すると、準備→意図→知覚→指令
何故こんなことになるか?

大脳皮質の感覚野を刺激する実験がある。
たとえば体性感覚野を刺激すると、そこに対応した体表(たとえば手)が「さわられた」と感ずる。この実験で、すぐにわかる不思議な現象は、刺激すればそれで良いというのではなくて、強い刺激を0.5秒ぐらい継続しないと「感じない」ってことだ。しかも、刺激のスタートから「さわられた」と感じるまで、なぜか0.5秒かかる。実際に手を触られたときは0.1秒後にはもう「手に触られた」と感じるのに。
さわられたという触覚の機械信号が、手の皮膚で電気信号に変換されて、更にその神経情報が長い腕を伝わって、脊髄に入り込んで脳まで行くまでに、ずいぶんと時間がかかる。
にもかかわらず、手に触れられたときには、ほとんどその瞬間に「感じる」ことができる。一方、脳を直接刺激したときには、刺激してからしばらく経たないと「さわられた」と感じない。
結局こういうことです。
神経伝達のプロセスは時間がかかるから、いま感覚器で受容したことをそのまま感じるとすると、情報伝達の分だけ常に遅れて感知してしまう。脳の感知する「今」はいつも「過去」になってしまう。それでは、いろんな不都合が生じる。そこで、脳は感覚的な時間を少し前にズラして、補正しているのだ。それも無理して補正している・・・補正しすぎている傾向がある。
「動く」前に「動いた」と感じるということは、補正が過剰ということだ。
(補正が出来るのは、過去の経験があるからです。)

こうした脳の活動がわかるようになったのは、脳活動を測定できる技術の進歩があります。
例えば、ネズミの脳の海馬のニューロンを、活動した瞬間に光るように蛍光色素で染めると、各ニューロンの発火の様子が手にとるようにわかる。1秒に2000枚の写真撮影が可能で、先ほどの動画サイト(ニューロンの発火)で見ることができます。
ニューロンの発火を音に変換したミュージックも聴くことができます。)

まぁこういった話題を満載した本です。
今年刊行された本の中でのトップクラスの本だと思います。