円と日本経済の実力

 目から鱗」の経済書を見つけました。薄っぺらな本(岩波ブックレット)ですが、充実した内容でした。鈴木淑夫著『円と日本経済の実力』(08年3月刊行)、筆者は日銀理事・野村證券理事長を経た元衆院議員(96〜03年)です。
この10年来の日本政府の政策はおかしいのでは?かねてからそう思っていましたが、どこがおかしいのかが私には明確でなかった。それを明確に指摘している本でした。

『日本経済のデフレは2004年にもう終わっている』という指摘がおもしろい。デフレの定義は『一般物価水準が持続的に下落すること』、この場合の物価は、消費者物価、あるいはGDPデフレータで見るべきでしょうか?
筆者はこう説明しています。
『1998年度以降現在までの10年間、日本のGDPデフレータは毎年下落し続けている。政府もマスコミも、このGDPデフレータの持続的下落は、日本で「デフレ」が進行しているからであり、いまでも日本は、まだ「デフレ」から脱却できたかどうかはっきりしていない、といっている。・・・「デフレ・スパイラル」を起こさないようにするため、「デフレ」克服が最優先の政策課題だといい続けてきた。超低金利政策が長引いているのも、そのためである。・・(しかし)
GDPというのは「国内需要+純輸出(輸出−輸入)」である。国内企業部門のデフレータを見るには、輸入デフレータを引く前の総需要デフレータで見るのが最適である。』
『04年度以降のデフレータ(04年度、05年度、06年度、07年7〜9月(対前年同期))は、総需要デフレータで(−0.4、+0.4、+1.1、+1.1)、GDPデフレータは、(−1.0、−1.3、−0.7、−0.3)です。』
『(総需要デフレータがプラスでGDPデフレータがマイナスになっているのは)マイナス項目である輸入デフレータが上昇しているためである。
日本経済の「デフレ」は、2004年に終わっている。GDPデフレータの下落に目を奪われまだデフレが続いていると考えるのは誤りである。』
『この誤りが、超低金利政策を長引かせ・・弱い日本経済を作り出した。』

この本から筆者の日本経済観を改めて検証してみます。
92年度以降の日本経済(括弧内実質GDPの伸び)について、筆者は92年(1.1%)93年度(−1.0%)をバブル不況期、94年度(2.3%)95年度(2.5%)96年度(2.9%)を自律回復期、97年度(0.0%)98年度(−1.5%)を政策不況期と名づけている。
さらに『01年度からの6年間に、輸出は75%も伸びているが、家計消費の伸びは10%に達せず、住宅投資に至っては減少している。』と、完全に輸出頼みの成長になったが、
『94〜96年度の3年間は純輸出が減少し、家計消費が成長に対し最大の寄与』をしていた。その後の橋本内閣の政策が大失敗だったと言う。
『1997年度の財政赤字は、9兆円の国民負担増加(増税医療保険等)と4兆円の公共投資削減にもかかわらず、2兆円しか減らなかった。税収落ち込みと97年暮れからの景気対策で翌98年度には財政赤字が一挙に10.4兆円増え、99年度にはさらに6.8兆円増えて、ついに41.8兆円というピークを記録した。』

(当時新進党衆院議員として、96年暮れの臨時国会で1回、翌97年の通常国会で2回計3回、予算委員会で当時の橋本総理、三塚蔵相に質問する機会があった。97年度予算の政府原案を実施に移せば、日本経済は深刻な景気後退に陥り、不良債権問題が表面化して金融危機が発生する恐れがあると再三指摘した。
しかし、総理と蔵相の応えは、?財政再建はギリギリの待ったなしの所まで来ており、多少景気は犠牲にしてもでも赤字は縮めなくてはならない(実際は1996年時点では、日本の政府債務残高対GDP比率は欧米諸国に比し遜色なかった)、?国民の不安を煽るような金融危機の話はしないで欲しい、の一点張りだった。)

更に、政策不況に追い討ちをかけたのが、竹中大臣の02年10月発表の「金融再生プログラム」。「主要行の不良債権比率(02年3月末平均8.7%)を05年3月末までに半減させる、それまではペイオフ解禁の実施を延期する」。銀行に対し、?不良債権比率の引き下げ、?自己資本比率8%(国内銀行は4%)、?収益性の向上を求めた。
? 不良債権を減らすには、不良債権の償却か、貸倒引当金の有税積み増しか、不良債権の安値売却。いずれも収益を減らす。
? 自己資本比率の引き上げは一単位の資本で貸出しを行える額を引き下げるから?収益性の向上と矛盾する。唯一の方法は、???の共通分母の貸出し残高を減らすことである。
銀行経営は窮地に陥ったが、たとえ大銀行といえども救済しないと竹中大臣は言い切った。・・日本の株価は暴落し、03年4月28日に終値日経平均は7607円となった。金融機関の株式含み損は膨大になり、金融恐慌前夜の様相を呈した。
市場は大手銀行のうち「りそな」が危ないと見てその株価が低落していた。その時政府は「りそな」に公的資金を注入して救済する決断を下した。竹中大臣の「大手銀行でも退場させる」という前言は翻された。(後に足利銀行は救済されなかったからダブルスタンダードである。)市場は安堵し、株価は急回復した。

小泉内閣のマクロ経済政策は、典型的な財政緊縮・金融緩和のポリシー・ミックスだった。この政策は、経済に対して二つの影響を持った。一つは輸出に有利であるが、内需には不利なこと。もう一つは、国内において投資に有利、消費に不利に働くことである。(金利が低いほうが設備投資はやりやすいが、家計は受け取り利息が少ないので消費は抑えられる。)
金融緩和で超低金利を続けた結果、国際的な資金移動には低金利の日本から高金利の海外に流出する圧力がかかり続けた。その結果、円の実質実効為替レートは、01年度以降、一貫して円安傾向。これは日本の輸出には有利である。他方、円安によって海外からの輸入品は値上がりするので、国内の実質購買力は削減され、国内需要は輸出に比べ不利になった。財政圧縮も、国内需要を抑制し、輸出圧力を加えるように作用する。 
小泉政権以来の財政緊縮・金融緩和策は、極端に輸出に偏った成長を促し、家計消費の伸びは低くなった。輸出関連企業と内需関連企業の格差、企業と家計の格差は、こうして生まれるべくして生まれたのである。

物価について考えよう。
04年度以降、企業物価が上昇し消費者物価は下落ないし小幅な上昇にとどまる。従来と価格体系の変化が逆転した。
この変化はなぜか?原因は二つある。第一は、経済のグローバル化の中で、日本の国内物価の国際的割高が解消過程(*)に入ったこと。第二は、国際商品市況の高騰である。

結論として、経済のグローバル化と資源価格の高騰が、統計上、GDPデフレータを下落させているのに、これをデフレと見誤って、超低金利政策を続けているために、円安傾向が続き、日本経済が弱くなった。

円安には二つの意味がある。一つは、日本が価格競争上有利になっているということ。もう一つは、日本が自国品を安く売り、外国品を高く買っていること。これを「交易条件の悪化」という。

加えて最後に、筆者の重大な指摘を紹介する。
『超低金利政策により、国際的な金融・資本取引の中で、日本の為替市場、長・短金融市場、株式市場のシェアが低下し、また円建て国際金融・資本市場の発達が妨げられている』と言う。

通貨には、保管・交換・価値の評価の機能があるが、金利が異常に安ければ、喜んで保管してくれる人がいない。円は国際通貨として育っていかないのだ。現在の低金利体制から脱却する工程を示すことを、政治家に望みたいのだが・・・

(*95年時点で、円の購買力平価は対米ドルで175円。この年の円の対米市場レートは94円であった。日本の国内物価は米国の国内物価に対して86%割高だった。その後、購買力平価は一貫して円高ドル安傾向をたどり(06年で120円程度)、対米ドル市場は、95年から98年まで円安、その後は大きくは動いていない。)