円相場の内幕

『円相場の内幕』(玉手義郎著、集英社95年1月刊)という本を読みました。
筆者は、東京銀行外為デイラー、ケミカル銀行などを経てTBS入社。この本は、プラザ合意以後94年の1ドル90円割れまでの、為替市場の「現場からの報告」ともいうべき書です。

こんな証言もあった。
『1986年の1月24日のことだ。前年の9月に始ったプラザ合意による円高は、240円から一気に200円まで進んでいた。しかし、200円という壁はなかなか崩されなかった。このまま円高が進めば、日本経済はとんでもないことになる。政府もこれ以上の円高は望んでいないはずだ。市場は200円の壁を背にして、一進一退を続けていた。
東京時間の午後3時過ぎ。・・・「日本経済は200円を超える円高でも大丈夫」。当時の蔵相竹下登のコメントだった。市場はドル売り円買い一色。数分もたたずに3円以上の円高になった。』

全体を通して、『投機とファンダメンタルズ』に関する論述が面白い。

『「現在の円高は投機的な動きで、ファンダメンタルズに即したものではない。断固とした姿勢でこれに対抗する」。円高が進むと政策当局はこういう。
しかし、実際には最も詳細にファンダメンタルズを分析し、それに基づいた行動をしているのが投機筋なのだ。』
『投機筋の行動が市場を動かすには、他の参加者を納得させ、自らの味方にするだけの理由があるからなのだ。投機筋の行動は、他の市場参加者も十分納得できるファンダメンタルズを反映したものであり、だからこそ市場もその方向に動くのだ。彼らは全知全能を傾けて、命がけで市場に挑んでいる。
こうした状況では、円高を阻止しようという通貨当局の行動こそファンダメンタルズを無視したものなのだ。』
『現実の経済活動の裏づけがあり、必然的にポジシヨンの生ずる実需取引。経済活動の裏づけがなく、意図的にポジシヨンを作っていく投機取引。しかし、どちらも為替取引という綱引きの参加者でありなんら区別ない。』
(実需取引と投機取引)両者の決定的な違いは、投機取引は必ず反対取引を行わないと完結しないという点にある。つまり、投機取引というのは、最終的には売り買いが相殺され、市場の最終的な需要と供給には影響を与えないのである。
投機取引はその背後に通常の経済取引を必要とせず、いずれは反対取引で相殺するのだから、どんな大きな取引でも可能になる。
こうしたことから、投機取引は実需取引に比べてその金額が極端に大きくなり、そこで利益が期待されれば、あらゆる通貨で取引ができる身軽さを持っている。しかし、それは最終的には相殺されるわけで、通貨に対する需要と供給には中立的になる。つまり、中長期の相場の流れを決めるのは、結局のところ通常の経済活動の裏づけのある実需取引ということになる。
(では通貨当局は相場を動かせないか?)
『通貨当局は介入の他に、金利政策や市場の制度を変更するといった特別な機能を持っているのである。それによってファンダメンタルズそのものを変化させることも可能であり、それによって市場の流れを一変させることも可能なのである。
市場の流れを変えることに成功した典型的な例が、1978年のカーターショックと呼ばれるドル防衛策と、1985年のプラザ合意によるドル安誘導政策である。』

言うまでもないことだが、為替相場が問題になるのは、為替が変動相場制であるからだ。
固定相場なら問題にならない。しかし、『そもそも、国際通貨の歴史において、固定相場が維持されていたのは、このブレトン・ウッズ体制と19世紀のポンド・スターリング制だけ。それ以外の時期は、すべて変動相場制となっていた。』