アメリカは何を考えているか

アメリカは何を考えているか』、岩波ブックレットの1冊を読みました。著者の赤木昭夫さんは、NHK解説委員や、放送大学教授を歴任。06年7月の刊行です。雑誌世界に04年2月、05年4月、06年8月掲載したものに加筆したもの、薄い本ですが、内容は膨大でした。
結論が面白い。『何を考えているのかと検討してきた結果、実はブッシュ政権は深くは何も考えていないことが判明した。』
(何も考えない政権に、何も考えずに付いていった首相がどこかの国にいた。)
筆者は金融と石油の問題をキーワードに考察を始めます。

イランの核開発
米軍基地の回廊で取り囲まれたイランとアメリカは、すでに50年以上もきわめて険悪な関係にある。80年からの8年にわたるイラン・イラク戦争は、アメリカが後ろについたイラクによる代理戦争だった。
イランの要求にもかかわらずアメリカはイラク化学兵器咎めなかった。イラクによる代理戦争で毒ガスが使われたのだから、つぎに直接アメリカが乗り出してくるとすれば、核を使うかもしれないと想定するのも無理ない。
核に対抗するには、自分たちも核を持ち、相手の核の使用を抑止するしかないと、イランは考えたに違いない。
石油と天然ガスの豊富なイランは原子力発電を当面必要としない。ウラン濃縮を強行するのはなぜか。すでにイランは射程1300kmのミサイルを備える。それに搭載する核弾頭には高濃縮ウランが不可欠だからである。
アメリカは何故中東にこだわるか。石油である。そして石油と金融は一体の問題だ・・
9.11に先立って、すでに01年の2月から7月にかけて6回にわたって、国家安全保障会議で対イラク政策が検討されていた。議題がイラクへの侵攻と、イラクの石油資源の管理だったことは疑いない。
(そもそも国家安全保障会議は大統領直属の諮問機関で、議会のチェックを受けない。アメリカでは政治の建前として、一部勢力の専横を抑制するため三権分立制度が取られてきたが、国家安全保障会議はその建前の外側にあり、いわば治外法権である。この辺り、国家安全保障会議は日本の海軍軍令部や陸軍参謀本部に似ている)

すでに1971年8月にアメリカは金本位制を廃止していた。ドル札は金に兌換されなくなりドル表示の金額が表示された紙切れになった。・・・(第一次石油危機において)産油国がドルの通用を信じて受け取ってくれねばならなかった。産油国はドルと引き換えに石油を売る。ドルさえあれば石油が買えるとなって、石油が欲しい消費国はドルを獲得しようとする。その結果、世界の貿易と金融の大半が従来通りドル建てで展開され、世界中でドルの信用が維持される(金本位制から石油本位制に)。オイルダラーのリサイクルを成立させれば良いことに、米国は気付いた。かくて石油の問題を自国が優位の金融の問題に置き換えるのに成功した。石油と金融が一体の問題だ・
アメリカとサウジアラビヤの間で、1974年6月に第一の協定が結ばれた。米財務省とニューヨーク連銀が、サウジに財務省証券を売ることを約束した。翌75年にサウジュアラビヤが石油取引のドル建てを約束し、第二の協定が結ばれた。
協議のアメリカ側代表は、国家安全保障会議主席補佐官のキッシンジャーと財務長官のサイモンだった。サウジアラビヤとアメリカとの間の正式の条約ではなく、正体不明の協議会で、米議会の批准を要さない協定文書が交わされ、中身は秘密とされた。
サウジアラビヤに他の産油国もならった・・・
さて、この時の石油ショックで・・・オイルダラーはどこへ流れたか。
1年あまりの間に石油が3倍に値上がりした影響は非常に大きかった。
1974年の経常収支を見ると、産油国が680億ドルのプラス、先進国が310億ドルのマイナス、途上国が340億ドルのマイナスと激減した。
先進国はスタグフレーシヨンに襲われた。そして途上国は借金地獄に落とされた。・・・メキシコとアルゼンチンの危機である。
そもそもの発端は石油の値上がり、つぎがオイルダラーのリサイクル、3番目が外銀の過剰融資が原因だった。なぜ利にさとい米銀ですらそんな無茶(途上国への融資)をしたのか。・・途上国への融資は有益で「愛国的な義務(ドル体制の維持)」だと、政府高官がこぞって勧誘したからであった。
80年代に南米諸国が負った巨額の対外債務を返済させるため、89年にワシントンのシンクタンクで、IMF世界銀行の担当者も招いて経済体制の変革が検討された。その中身として、貿易の自由化、外資への市場開放、公営事業の民営化、規制緩和などが挙げられ、意見が一致した(ワシントン・コンセンサス)。
経済の再建なり拡大のためIMFから借り入れるには、上に述べた条件を飲まねばならない。その上で、ドルを呼び込むためドルとの交換率を固定すると、どっとドルが入ってきて、しばらくは経済が活気付く。だが、競争が激化し、リストラが進行し、失業者が増え、消費が落ち、農産物輸出の不振などが加わると、体制改革以前よりも経済は悪化する。その結果、ますます対外債務がふくれあがり、国民の間ではいよいよ格差がひろがる。

一方産油国、73年から81年まで8年間の、OPEC全体の経常収支がプラスだった。だが、82年から99年にかけて17年間はマイナスが続いた。その差は毎年300億〜400億ドルにも及んだ。というのは、石油収入をあてにして野心的すぎる社会開発計画の実現にとりかかったところで、逆に石油が値下がりしてしまったからである。
下にOPECの値上げ要求があり、そのうえに投機が加わったのが、99年以降の油値の高騰だと結論づけられる。

テロの原因

アラブの産油国を豊かな国と思うのは間違いである。ごく一部の特権階級だけが豊かであるに過ぎない。石油収入は巨額だが、それが国民全体の生活向上にはまったく役立っていない。
サウジアラビヤについてみよう。1980年と2000年をくらべると、国民一人当たりの年間石油収入は、21600ドルから2800ドルへ、実に13%に激減した。この間に人口が937万から2202万へ、2.4倍になったという事情も一因になっている。
雇用の創出や職業教育よりも、防衛のほうが優先された。というのは、周辺の国々にたいしてだけでなく国内に対しても、王制を守ることが優先された。GDPに閉める軍事費の大きさでは、北朝鮮、ヨルダン、エリトリアオマーンに続いてサウジアラビヤは世界第5位で、最近15年間をとってみても10%を切ったことがない。ちなみに第6位はイスラエルである。
若年層の間での失業率は20%を越える。地方によっては、さらにひどい状態と伝えられる。前途に光明を見出せない若者がテロ集団に加わるのも無理はない。9.11テロの実行者の大半は、サウジアラビヤの地方出身の若者だった。
根源は、オイルダラーの使い方、アメリカによるオイルダラーのリサイクル体制、それによるドル体制の維持、その矛盾が産油国の足元や南米などの途上国にしわよせされたことにある。アメリカがアラブのテロ集団から攻撃されるのは自業自得と言われても仕方ない。
米国の覇権を維持するための経済のグローバリゼーシヨンは、それを受け入れた国に格差をもたらすものかもしれない。

テロも石油も通貨も関連して事柄は一体なのに、ブッシュ政権は、深く考えずバラバラの対応をしている。
ブッシュ政権の6年間(本の執筆時点)を振り返ってみよう。第一に、深く考えないでイラクに侵攻し、泥沼にはまり動きが取れなくなった。第二に石油の高騰に見舞われた。そうなる体制を70年代からつくってきた当のアメリカだから予想できた筈なのに、ブッシュ政権には晴天の霹靂だった。やはり事態を深く読んでいなかったのである。手の施しようがなくガソリンが2倍も値上がりし、選挙民の支持を失った。第三に、エネルギー外交で中国とインドなどに押しまくられた。

以上が、著者の主張ですが、以下、私の感想です。

何も考えないという点では、日本政府も同じようなもの。サブプライムローン不況を天災のように捉えているが、誤った米国政府の政策をサポートしていたのは、日本ではないか?例えば、『2003年1月から2004年3月までに実施された35兆円に及ぶ本邦通貨当局による為替市場での巨額な円売りドル買い介入。この金額は03年度における一般会計歳出総額の約4割に相当する大規模なものであった。その結果、04年3月末の外貨準備は8266億ドルとなり、うち4分の3が結果的に米国財政赤字ファイナンスに提供されている。』