ドル円相場の政治経済学

ドル円相場の政治経済学』(加野忠著、日本経済評論社06年9月刊)を読みました。
筆者は東京銀行証券部長などを経て85年同行退職。ソロモン・ブラザーズ銀行在日代表。97年横浜商科大学商学部教授。
本書のねらいについて、著者ははしがきでこう述べている。
「本書執筆の直接のきっかけとなったのは、2003年1月から2004年3月までに実施された35兆円に及ぶ本邦通貨当局による為替市場での巨額な円売りドル買い介入であった。この金額は03年度における一般会計歳出総額の約4割に相当する大規模なものであった。その結果、04年3月末の凱歌準備は8266億ドルとなり、うち4分の3が結果的に米国財政赤字ファイナンスに提供されている。」
「このように壮大な市場介入や積みあがった巨額の外貨資金運用の操作が、ごく少数の通貨当局者によって極秘に立案実施され、意思決定のプロセスや事後的な評価に必要な情報公開が十分に行われていない」
「筆者は長年国際金融ビジネスの現場に生きてきた者として、為替相場とくにドル円相場の変動は常に関心の的であり、何がそれを動かし誰がその影響をどのように受けるのかということを絶えず考え続けてきた。そして米ドルと円の交換比率に過ぎない為替相場を動かす背後には、標準的な経済学だけでは説明の困難な要因があり、それらに着目すれば現実がより鮮明に理解できるのではないかと思うようになった。」
為替相場がどのように決まるかを解説するための文献を渉猟するようになって、あらためて学んだのは経済学の最先端の道具立てで構成された相場決定理論や予測モデルは、長期的な動きの説明や予測については、それなりに有用であるものの、短期的な予測に関しては、サイコロに頼るのと結果は大同小異という事実であった。」
「日本政府や政権党は「国益」擁護を盾に米国の圧力に抵抗する姿勢を示すが、安全保障の観点や米国市場依存体質からそれには限界があり妥協を余儀なくされ、本来国内均衡に用いるべきマクロ経済政策を対外政策協調や為替安定に割り当てることで、結果として大きな負担を背負い込むということがしばしば起きた。」
このはしがきを読んで、筆者の問題意識と、小生の修士論文で意図した問題意識が、全く同じであることを知った。

この著書の流れはニクソンショック以後の国際経済の流れを追いながら、日米の政府の姿勢が円・ドル相場に与えた影響を述べ、自由で開かれた為替・金融市場の構築が、日本の地位を高めるには不可欠であると論じている。

第3章では、プラザ合意とその帰結を追跡する。レーガン政権は、ソ連との対決姿勢を強め軍事費を増額した。減税とあいまって財政赤字が増大し、緊縮的な金融政策との組み合わせで異常なドル高と経常収支赤字の拡大を招いた。当初はこれを放置した米国も、高まる保護主義的な動きに対応するために、ドル売り介入を含め国際協調行動に転換した。日本はプラザ合意の成功のため積極的な役割を果たしたが、これによりバブル経済を発生させた。
第4章.90年代には、バブル崩壊、超円高、相次ぐ通貨・金融危機に見舞われ、日本経済は停滞した。冷戦構造終焉で、日米関係は、安全保障から経済問題に軸足を移す。
輸出拡大による雇用創出をめざすクリントン政権は、結果重視の貿易政策、市場開放要求を推進し、容赦なく円高カードを使って、日本経済の競争力弱体化を実現させた。
しかし、再選後のクリントンは東アジヤ戦略の再検討を行い、日米同盟の強化に路線転換、また米国への資金流入を円滑にするためにドル高政策を唱えた。
東アジヤ通貨危機や日本の金融危機深刻化に伴い円が暴落した後急騰するなど大きな変動を示した。これに対応すべく日本の為替介入政策は95年半ば以降大きく転換、介入額は大規模化した。
第5章.デフレ進行下で実施された大規模な為替介入の意義を論ずる。執拗な投機に対応するもので、金融政策とは独立したものと通貨当局は説明する。デフレから脱却できず株価が下落する中での円高は放置できないのは当然としても、目的がそれだけとすれば介入手法には批判の余地がある。しかし(著者は)この大規模介入の意義は、日銀と阿吽の呼吸で行った金融緩和政策の本格化とみる。
しかし手放しで賞賛できる政策とは思えない。経常黒字に見合う資本流出の多くを官の手にゆだねる姿は、とても健全とはいえない、と述べる。