お金の機能

経済物理学の発見」(高安秀樹著、光文社新書)という本を5年ほど前に買いました。読み始めたがどうも面白くないので、書棚に置いたまま放置していましたが、ふっと思い出して再読してみました。
ところが、今読むと面白いのです。どうも、5年前の小生は、この本を読むには経済学の知識が不足していたらしい。

この本、『お金』についての考察が面白い。
「お金」は、今や紙幣でなく、コンピュータの中のデータになっている。
【注意しておきたいのは、既にお金の殆どは電子化されているという事実です。日本の中を流通している現金は日本の隅から隅まで全部合わせても70兆円程度です。これは日本銀行が発行している通貨の総額で決まります。それに対し、日本の金融資産は、個人の資産だけでも1400兆円にもなります。現金の閉める割合は5%程度ということになりますが、残りの95%は、銀行口座や金融商品で、どちらも電子的に情報がコンピュータの中に保存されている形態をとっています。
アメリカでは、現金の占める割合はおそらく日本よりもさらに小さくなっています。それは、ほぼ全員小切手を使っているからです。・・・(このため)
ドル札は、アメリカ本国ではほとんど使われていないこともあって、非常に偽造されやすいままにされています。紙質もそれほど良くないし、印刷も淡色で図柄も比較的単純です。アメリカ国内で高額の紙幣を使うのは、端的に言えば、麻薬の売買をしている人など、公に取引の足跡を残したくない職業の人だけですから、それでも大きな社会問題にならない。
中米のエクアドルでは、自国の通貨がひどいインフレを起すことから、政策として自国の通貨をやめてアメリカドルを自国の通貨にする決断をしました。インフレはなくなり、為替リスクもなくなりましたが、別の大きな問題が発生しています。それは、まず、政府としては金融政策が自国の判断ではできないという点です。通貨の流通量を調整することで国の経済を制御することができないわけです。
また、一番困るのは民間レベルで偽造通貨が氾濫してしまったことです。】
そもそも「お金」は、どんな機能を持つものか?
【経済学の本を見ると、お金の基本的な性質として、交換、尺度、保存という三つの機能があると言われています。しかし、お金がこれらの機能を備えているのは、ポケットにある現金のレベル、あるいは、せいぜい個人の預金程度の金額の場合だけです。
例えば一兆円の小切手を持っていたとして、それは何と交換できるでしょうか?・・巨額のお金に関して最も重要なのは、お金の第4の機能とでも言うべき、増殖機能です。
銀行に集まってきた何兆円、何十兆円というレベルのお金になってくると、交換・尺度・保存の機能はほとんど失われ、増殖機能のみがお金の役割になってきます。
今、外国為替の市場に世界中のお金が集まり、株式市場よりも桁違いに大きいお金が流れています。それは為替の市場が最も巨額のお金を使いやすい市場だから、というのが大きな理由です。1兆円お金を持っていた時に、1兆円で何が買えるかといっても、買えるものを探すのは大変です。
例えば、1兆円分の株を買うとなると、日本の株の総額は300兆円程度ですので、ひとつの銘柄の株だとその株をほとんど買い占めることになってしまい・・・市場は大混乱になってしまいます。しかし外国為替の市場だと、1兆円分のドルを買ったり、逆に売ったりという取引が1時間もかからないうちに処理できます。】
ところが、この増殖が問題で、実物経済が成長している時は、金利を生み出せるが、地球の広さに限界があるから、いずれ経済成長も限界に直面する。と著者は説く。
【育ち盛りの子どもが1年間に10センチずつ身長が伸びたとしても、20年後に身長が3mにもなると、想像する人は誰もいません。しかし、経済に関しては、地球の大きさの限界を考えずに過去の成長率をいつまでも維持できる、と漠然と期待している人が大多数です。
イスラム系の銀行は、宗教上の協議に基づいて、金利は付けないしくみを貫いているそうです。金利の代わりに、投資して得られた利益をみんなで分配する形で預金者に還元するシステムで運用しているということです。金利を約束してお金を預かる習慣の日本の銀行もそれに近いしくみを導入することも検討する価値があると思います。】

【日本国内では円を通貨として使用しなければならないという法律が明治の初めに制定されました。
この法律は、今でも有効なのですが、事実上、意味をなしません。というのは、前述した1998年の外国為替法改正で、日本国内で外国の通貨を自由に円と交換できるようになり、外貨を国内で使用することが合法化されたからです。】
以上、お金の機能についての考察です。
著者は、未来の国際間の通貨は「バスケット通貨」にするのが最も合理的で、「バスケット通貨」はうまく運用すれば、それによって為替投機も排除できると主張していますが、これについては、割愛します。